1.
アキラのいうことを聞いていたら大抵事がうまく運ぶ。そう、おまじないのように心に留めていた決まりごとを何年もずっと守り続けて人生を歩んできたから、「困ったらアキラに相談する」というルールは私の根幹そのものであった、大袈裟ではなく、本気でそう思っている。
「アキラくんってに対していつもあんな感じなの?」
ただし私は立派に成人している人間であり、そもそもアキラがいくら頼れる人物であっても父や兄ではないのだから、些事から大事まであけすけに報告・相談しているわけではない。例外のひとつは悠真で、恋人関係になる以前から湧き出る悩みは一度たりともアキラに相談したことはないなあと、金色の目を縁取る長いまつ毛の数を数えながら考えている。そのせいで悠真の問いかけに反応ができず、ねえ、と腕をゆすられてようやっと正気をもって悠真の顔をみた。
「アキラが……どうかしたんだっけ?」
「すごいね、もしかしてこの一瞬で寝ちゃってたりした?」
いくら私がどこでも眠れるといった特技をもっているとはいえ、これははっきりとした皮肉だろう。こういうときはむきになって反応しないに限るし、悠真も反論を望んでいるわけではないので、抱き枕を私の腕から抜き取ってベッドのほうへ放ってしまう。
「あんたがここで」
私の部屋のソファは買い物のたびに悠真がクッションを買い足していくので、アキラの部屋にあるソファよりも座れるスペースが狭くなってしまっている。悠真によってつくりあげられたソファに座らされたら、起毛のやわらかなクッションがはじき出されて床に落っこちる。
「それで、アキラくんがここ」
クッションを拾い上げた悠真は私のとなりに腰掛ける。布と綿のかたまりたちに包まれて狭くはあれど居心地がよく、悠真のご機嫌が斜めになっていなければもっとよかっただろう……悠真の機嫌を左右した当事者である私にできる反駁はひとつもない。
「アキラくんは隣にいるあんたの髪を結び直して、そのあとなんて言ったか覚える?」
アキラとリンのお店兼おうちに招かれ四人で一緒に夜ご飯を食べたほんの数十分前の出来事を再現され、喚起されるがまま顧みてみるが、「うん、かわいいかわいい」と言われたことしか心当たりがない。
「いやいや、そのことなんだけど!?」
ぐっと顔を寄せてきた悠真の顔は真剣そのもので、こちらの正気を疑ってかかっている最中であった。
「アキラはそういうことを猫にも言うよ……?」
「って猫なんだ?」
「なに言ってるの……。猫じゃないけど、おなじカテゴリだと思う」
「にとってはそうでも、アキラくんはどうだろうねえ」
「かわいいって言うのがだめだったら、髪を直してもらうことのほうがだめじゃない?」
「……それ、自覚あったんだ」
半ば遊びでエーテル適性を測ってそれなりに高い数値を叩き出し、身の振り方について考えめぐらし眠れなくなったとき、アキラが一緒に進路について考えてくれたおかげで自らの生活費を安定して稼ぐことができるようになった。仕事だけではなく、賃貸の間取りや立地など、迷ったときはアキラに相談していた。
いまはお互いが六分街に住んでいるから約束せずとも顔を合わせはするし、今日みたいに一緒に食事を摂る機会にも恵まれている。さらに、それよりも以前のお互いが男女であるときっちりと性差を区別できていない時分から一緒にいるから、有り体にいえば距離感を見誤りがちなのだ。
「気をつけてはいるんだけど……」
アキラは私が近づこうとも照れやしないのだから、彼から向けられる感情の種類は親愛でしかないし、恋愛に方向転換する可能性もない。近くにいてくれるひとをだいじに思い、好意を抱くという不自然ではない反応。私とアキラはその種の好意をやりとりしているが、傍目からみるとどう映るかについて考えが至らないほど幼くはない。
「……無理にやめろって言ってるんじゃないよ。仲良しなのはいいことだしね。ただ、ちょっと妬けちゃうだけ〜……なんて」
綺麗に結び直された髪に触れられる。ときおり、指先が耳をかすめた。そのたびに心臓が弾んで唇の端から不自然な息がこぼれ落ちそうになる。
恋人同士になってから、悠真がみせる行動のひとつひとつに色がついたように思えることが増えた。うれしそうだったり、悲しそうだったり、怒ったようだったり。妬けてしまう……喜怒哀楽のどこにも当てはまらないそれは新鮮な感覚をもたらす。
「本当に眠たいの?」
髪から手を離した悠真にこめかみを撫でられる。じっと送られる視線には、嫉妬ではなく物思いが含まれている。きっと悠真は感情が細やかだ。
2.
見るからに気落ちしているようであったから、悠真はに何事があったのかとたずねたところ、あれから彼女はアキラに接触の頻度を減らす提案をして、アキラは彼女に「一切の接触をやめる」宣言をしたらしい。揃いも揃って的外れな行動力を発揮したようだ。脳にまわるはずの酸素がうんと減ってめまいがする心地である。
「……賢くて優秀なアキラくんはなんでそんなポンコツな思考になっちゃったの?」
目の下のくまの濃さが増しただろうかと、その相貌を正面に据えて思案する。だとすれば、彼の心労の一因は幼なじみとの関係性であり、火付け役は己であった。
「僕にはを見るとつい世話を焼いてしまう癖があるらしい」
「それは誰の目に見えてもそうだと思うよ」
「そうか、誤解を生むつもりはなかったのだけれど」
誤解どうのではなく、妬く妬かないの話である。しかし、アキラはポート・エルピスの売店で買ったフライドポテトに手をつけずに鉄柵を握りしめて、物思いにふけった顔に潮風を受けるばかりだ。
「にも言ったけど、仲良しなのはいいことだよ。でも、あんたってたまに砂糖吐きそうなこと言うからさ」
「がそれで僕のことを恋愛対象として見るかもしれないって?」
「いやいや、いや……」
その定理が通じていたらとっくにとアキラは思いを寄せる者同士となっていただろう。やはりアキラはのことになると思考の程度が怪しくなるなと悠真は思い、彼の手からフライドポテトを抜き取って口に放ったらすっかりと冷めてしまっていた。潮の香りと揚げ物の味が混ざって塩辛さが増す。
「僕が嫉妬するだけの話です〜」
長年の習慣を一朝一夕で矯正させようとすること自体が間違いであり、そもそもそこまでしてほしいなどとは望んでいない。ただ、いまのアキラと彼女にそれを伝えたとて正確に伝わるとも限らず、火種を増やすだけである可能性だってある。そんなものは徒労だ。
だんだんとばからしくなってきて恥すら抱かなくなった悠真が早々に白旗とともに本音を打ち明けたら、アキラは呆気にとられた様子であった。きみは嫉妬していたのか、と。
「僕は生きている限りアキラくんに嫉妬するよ」
あんたらはどうせ一生幼なじみなんだから。宣戦布告するがごとくはっきり言い切ると、アキラは耐えきれぬといったばかりに失笑した。
「それは大変だな」
「だからアキラくんはを避けるようなことをせずに、かつに対する甘い言葉を減らすように」
「……悠真は注文が多いな」
「僕いまダメ出しされてる? 嘘でしょ? これでもかなり譲歩してるつもりなんだけど」
「ダメ出しなんてしてないさ。のことをきちんと好いてくれてるのだとわかって安心しているくらいだよ」
ありがとう、なんて柔らかく笑われてしまえば、ときどきは見て見ぬふりをしてはぐらかそうとしていた嫉妬心だって頭を持ち上げるというものだ。彼とあの子が作り上げてきたやわくも強固な絆、あるいはまるであの子の内側にいる立場ゆえのてらいのない発言に。
「僕はのことをだいじに思っているけど、それと同じくらい悠真のことも信用してるからね」
まじりけなどない澄んだ声音は通りがよく、決して波の音に紛れない。まっすぐな好意に気圧されそうではあるが、悠真もアキラとのやりとりにおいて「あんたに会いたい」などと武装のない言葉を投げた経験がある以上、文句は言われない。本心は本心であるが、いざ剥き出しの親愛にあてられてみると、気恥ずかしさのひとつくらいは抱くものだ。
同時に、信用されているという言葉が熱をもって胸をつつく。アキラからそれを引き出せて、すでに悠真は満足していた。しかし、アキラの話にはまだ続きがあった。
「だからもしも今後が君とのことで僕らに助けを求めてくるようなことがあったら、その都度話し合いの場を設けるから、そのつもりで」
「こ〜わ……、いや、うん、わかった。あんたの希望に添うよ」
3.
やたらと控えめな力加減で櫛が髪に通される。「痛かったらすぐに言ってね」とのことであるが、痛いどころかふわふわとくすぐったいだけだった。
「悠真、なにをするの……?」
「少しはの行動力を見習おうかと思ったんだよ。アキラくんにしてほしくないんだったら、僕ができるようになればいいだけだ」
飼い猫の毛の手入れをしている悠真は櫛を通すところまでは上手だけど結ぶのは慣れていないようで、動画をおともにしていたものの、物覚えがよく元より器用な悠真はさほど時間をかけずに髪を編み込んでみせた。
「ほら、アキラくんよりも上手にできたでしょ。褒めてくれる?」
妬く心を持ち続けて隠そうともしない悠真のことを無性に甘やかしたくなる。喉が詰まるような、なんだかお腹の底がぞくぞくとするような……形容し難い感情に任せて勢い余って悠真の髪を撫で回す。思い切りくしゃくしゃになった髪を直さずに悠真はけらけら笑う。
「それもっとやってよ。あんたにそうされるのめちゃくちゃ気持ちいい」
「頭を撫でられるのが好きなの?」
「どうかな、そうかもね」
お腹にぐっと押し付けられる頭は私のせいでとことん乱れてしまっている。甘えたい気分なのかもしれない。こんなに喜んでくれるのなら、つい先日破棄されたばっかりのアキラとの『必要以上にお互い触れ合わない約束』のうえをするすると軽やかになぞり埋めていくかのごとく、私も悠真に触れる頻度を増やしていけたら良いと思う。