緊急の呼び出しをふまえて約束を取り付けていたので、やはり待ち合わせ場所には行かれないというメッセージがセスから届いたとしても、落ち込んだり癇癪を起こしたりはしなかった。
「……ほんとうに?」
 テイクアウトのフライドポテトに次々と手を伸ばすものだから、アキラは苦笑いに胡乱げな色を織り交ぜている。
「やけ食いに見える?」
「どうだろう。いまは夕食を摂るには遅い時間だからね」
 夕飯を摂り損ね、ゲームセンターでアーケードゲームに熱中しているところを、アキラに捕獲された。フライドポテトが入った袋を片手にひとりでひたすらゲームに興じている私はアキラの目に異様なものとしてうつったのか、あれこれ理由をつけてゲームをやめさせられ、ほど近い場所に建つ彼と妹のビデオ屋に連行されたのである。
「……じゃあアキラも食べる?」
 せっかくならビデオを一本観ていかないかと誘われた。アキラの部屋はすっきりと整っており、控えめなボリュームで音楽が鳴っている。落ち着くはずの環境は、数分前に「今晩、リンは不在にしているんだ。きみが来てくれたから心細い思いをしないで済むよ」と嘘か真実か判別しづらい台詞を吐かれたために緊張を帯びたものとなっている。
 まあおそらく、たぶんこれは軽い冗談……とポテトをアキラの口元に差し出す。
「なるほど、きみは夜食の共犯者が欲しいんだね」
 案外一口が大きく、指ごと食べられてしまうのではないかという錯覚におそわれる。もうひとつ、と強請られて同じように食べさせたところで、これを続けているのはよくないかもしれない、と思い直して「あとはご自由にどうぞ……」とぼそぼそ溢す。
「そうするよ。僕もセスを怒らせたくない」
「セスってこういうことで怒るのかなあ……」
 怒るというよりも信用を損ねてしまう状況の方がまざまざと想像できてしまう。いや、それもどうなんだろう……これはきっと、やっぱり、よくない。
 いっときは独りの寂しさを紛らわせたいという即物的な感情に支配されていたが、あたたかい場所でお腹が満たされていくと頭が冴えて理性が舞い戻ってくる。
 理性がはじき出した次にとるべき行動に従い、今ほどオープニングを流し終えたばかりのテレビを前に、ソファから腰を浮かせた。
「帰るのかい? でも、もうちょっとだと思うよ」
「もうちょっとって?」
 アキラは始まったばかりの映画を指しているのではなく、セスの到着について説明したらしい。階段を駆け上る足音ののちに「店長、入るぞ」と断りの言葉と共に部屋に入ってきたセスは、フライドポテトの袋を後生大事に抱えている私と、その隣に腰掛けてにこやかに手を振っているアキラと、ざらざらとした古い映画の映像を流し続けているテレビを見比べる。映画は薄着の男女がベッドの上で寄り添っているシーンの真っ最中であった。セスの目はわかりやすく丸くなるのである。
「店長、よりによってに恋愛映画を観せているな!」
に恋愛映画を観せたらだめだったのかな」
「だめっていうか、はこういうのを観ると絶対に泣くんだ……!」
 なんとも直球な言われ様ではあるが、セスと一緒にこういったたぐいの映画を観て幾度も泣き顔をさらした身分としては、否定なんてできるはずもない。セスこそ落涙の回数でいえば私といい勝負であるはずなのに……だけれど程度は私の方が手に負えないものだから、反論は捻り出せそうもない。
「つまり、僕がの泣き顔を見るのはセスにとってひどく不都合なことだっていう意味で合ってるかい?」
「な……! 違う……わ、ないけど。……それに、を泣き止ませるのには骨が折れるんだ。店長の手を煩わせたくない」
 悪しざまに言われているように聞こえ、唇を引き結んでセスを見上げる。う、と呻く声と、いやだから、と戸惑う声が順に発せられる。
「悪口を言いたいんじゃなくてだな……。ただ、キミはときどき人前で無防備になることがあるだろ? ああいうのは誰彼構わずするものじゃないと思うんだ」
「セス、きみだいぶ可愛いことを言っている自覚はある?」
 笑いを噛み殺したアキラは「ついで」の「ネタばらし」として「ゲームセンターで不貞腐れているきみを保護したことと、仕事が終わったら迎えにきてほしいことをセスに連絡していたんだ」と説明する。「まさか映画の中盤まで待ってくれないとは思わなかったけれど」どうやら、急いでやってきてくれたらしい。
 黙ってそれを聞いていたセスは口をはくはく動かして、音にならない言葉を吐き出し、その場にずるずるとうずくまる。セスの感情を物語る耳がぺたんと頭にくっついている。
「……店長は、先約があるからといって鍵を開けっぱなしにしない方がいい。防犯上の問題がありすぎる」
 やがてひとまずの落ち着きを取り戻したセスはうずくまったまま話題の転換を試みているようだ。
「いつもじゃない。鍵を開けたままにしていたのはきみに潔白を示すためだよ」
「やましいことはないって言いたいのか? オレは店長のことを疑ってなんかいないぞ」
「恋愛映画を観せるのはだめなのに?」
「蒸し返すなってば……。もう帰るから、はフライドポテトを食べるのをやめろ」
 塩と油の香りが食欲をそそる紙袋を抜き取られ、空っぽになった指先をティッシュペーパーで拭う。
「ああそうだ、このビデオはレンタルでいいよ。きみたち二人で一緒に観るといい」
 ちゃっかりとレンタルすることになったビデオをセスが持ち、深夜の六分街を地下鉄の駅に向けてゆっくりと歩く。人気をなくし静かになってしまった街の雰囲気につられるようにしてセスの口数も減り、だけどそれは仕事の疲れもあるのかもしれない。
「……この映画、どんな内容なんだ?」
「男の人が幽霊になったあとも恋人のことを守る話……?」
 セスが自ら選ばないであろう映画である。へえ、キミはきっと泣くんだろうな。セスは小さく笑って、私の手を握り込んだ。
「オレは生きているときに一緒にいる方が好みだけど、とならその映画を観たっていいと思うよ」
「私が泣いたら泣き止ませてくれる?」
「そのつもりで店長から役目を奪ったんだ」
 照れ笑いに、菫色の透き通った目がふわりとほどける。思わず目をそらしてしまいそうになるくらい真摯に見つめられる。
 映画を観たら、セスは私とぴったりとくっついて眠るのだろう。薄暗がりのなかで、たまに足を絡めたりして、他のことはなんにもせずにきっとただただ眠るのだ。