百貨店のチョコレート売り場で買ってきた少しお高めのそれを抱えて家路につこうとしたところで、大きなリムジンから出てくる幼馴染の姿を見つけた。やあ、と子どものような笑顔で手を振っている。顔色はめちゃくちゃ白いので、寒い時期ということも相まってわりと体調が悪いのであろう。

「ごきげんよう英智くん。顔色が悪いね……」
「今日は調子がいいほうだよ。ちゃんは寄り道でもしてきたのかな?」
「うん。もうすぐバレンタインだから、英智くんと敬人くんにあげるチョコを買ってきたんだよ」
「いつも思うんだけど、ちゃんは僕たちになんでも報告しすぎだよ」

 たった二人の幼馴染だ。英智くんが女の子よりも愛らしく、色素の薄いさらさらの髪を私に弄られていた五歳の頃からバレンタインのチョコレートを渡して早十年以上経つので、いまさら隠してもしょうがないと思う。
 それにサプライズなんておっぱじめようものなら、英智くんのプレパラートよりも繊細な心臓がぱりんと割れて粉々になってしまうかもしれない。そうなると敬人くんは怒り狂って私を骨にしてしまうだろうから、無意味なサプライズは避けたかった。

「まあちゃんは僕の未来のお嫁さんだから、べつにいいんだけどね」

 私が英智くんに欠かさずチョコレートをあげているのは、こうして私の手をやわらかく握って底知れない微笑みを向けてくるこの人が、なぜか未来の旦那さんのようだからだ。半分以上信じていないし、書面で約束させられた記憶もないのでほぼ百パーセントの確率で英智くんの妄想なのだが、断るタイミングもなく、サプライズ同様、お医者さまが大事にしている心臓を止める恐怖が勝ったので、今日までずるずるとやってきてしまっている。

「それに今年は僕がちゃんにチョコレートをあげようと思っていたんだよ」
「は……? え、なんで?」
「学院ではアイドルがチョコレートを配る催しをやっていてね、それに便乗しようと思って」
「ふうん」
「こら、もっと興味のありそうな返事をしなさい」

 頭頂部を思い切りチョップされて飛び上がった。身体が弱く、周囲にだいじにだいじにされている反面、英智くんはときどき暴力的だ。こちらがやり返せないのを知っていてやっているのだとしたらえげつないが、そこまで深くは考えていないだろうし、たまに脇腹をくすぐってやったらたいそう嬉しそうにするので、雑に扱われたい願望はそこそこあるのかもしれない。
 幼馴染たちがアイドル養成学校なる場に通っているのはもちろん知っている。でも、具体的にどんなことをしているのかまでは知らなかったし、熱心に調べてもいないので、アイドルがチョコレートを配るイベントが開かれているなんて知らなかった。むかしから学校を休みがちだった英智くんはこのごろ楽しそうに学校生活の話をしてくれるようになったし、アイドルのことはよくわからないが、英智くんが幸せそうなのは、いいことだと思う。

「チョコレートを手作りをするユニットもあるんだよ」
「へえ〜。でも英智くんはどうせしないんでしょ?」
「しないけど、してほしい?」
「どっちでもいいけど英智くんがチョコレートを作ってるところは見てみたい」

 生まれてこのかた料理の経験がなさそうな英智くんがおっかなびっくりチョコレート作りに励む姿には興味がある。意地悪な心が動いてにやにや笑いを堪えずにそう告げると、英智くんは薄い金色の前髪の奥でにっこりと笑ってみせて、こう言ったのだった。

「いいよ、うちにおいで。きっと後悔させてあげるから」





 英智くんは期待を裏切らずチョコレート作りなどしたことがなかったが、頭の出来が良いせいで簡単なトリュフをあっという間に作り上げてしまったのでがっかりだ。お湯のなかにチョコレートを直接ぶちこむくらいの失態を犯してほしかったのに……。

「すごく残念そうな顔をしているね。僕は亭主関白になるつもりはないから、これでも、ちゃんに食べさせてあげる料理をこっそりと練習しているんだよ」

 この瞬間にこっそりの意味がなくなった。

「……英智くんこそ私になんでも報告しすぎなんじゃないかな」
「夫婦のあいだに隠し事はできるだけ無くしたいんだ」
「はあ〜。それはありがたい……」
「はい、あ〜んで食べさせてあげる」

 この豪邸で純度の高い暮らしをしている英智くんがプロの料理人に料理を教わるほど私との結婚生活に向けて準備をしているとは、さすがに想定外だった。言われるまま口を開いて放り込まれたトリュフはふつうに美味しいし、これならごはんの炊き方くらいはマスターしているに違いない。もし万が一、英智くんが無一文になってふたりで四畳半のワンルームから再出発することになっても、そこそこ幸せな暮らしを得られるのではないだろうか。英智くんってアルバイトとかできるのかな、できなさそうだけど、できそうだ。
 口のなかの甘ったるい塊を噛み砕く。ちょっと甘すぎるくらいのチョコレートはすぐに溶けてなくなってしまう。

「どう? 美味しかった?」
「美味しくて悔しいくらい……」
「そうだろう。愛情を込めたからね」

 ぶっとんだ発言や価値観の違いはあれど、英智くんの愛にきっと偽りはない。軽い気持ちでおねだりをしたのだけど、手作りのチョコレートを食べさせてくれた。いままでの十数年間を市販のチョコレートで済ませていたのがなんだかそっけない気がして、それならば私も英智くんに手作りのものを食べさせてあげたいなあと今更なことを悶々と考えつつ、先ほどと同じく口元に運ばれてきたチョコレートを迷いなく食べさせてもらう。
 唇をするすると撫でる英智くんの指にはトリュフの表面についていたココアパウダーがついていたから、おそらく私の口の周りは悲惨な状況になっている。やめて、と嫌がるそぶりを見せても楽しげに笑ってねっとりとしたチョコレートの残骸さえも塗りたくってくるので厄介だ。

「もう! ねえ、なんなの……」
「こうすると、食べるのが下手な子どもみたいで可愛くて」
「英智くんが英智くんじゃなかったら平手打ちしてたよ」
「僕はちゃんしかお嫁さんにしないから、好きにしてもいいんだけど」
「すぐそういうこと言う〜」

 豪華なキッチンはトリュフ作りの最中に汚れてしまった。私の口周りを汚したくせに自分こそ?を汚しているので、どちらが子どもなのかわかったもんじゃない。

「だから僕もちゃんを好きにしてもいいよね?」
「うん……? あのね、夫婦とか以前に、相手が私じゃなかったら英智くんはただの変態だからね」
「はい。目つむって」
「ん?」
「僕は開けたままでも構わないけど」

 なんとも品がなく、英智くんは私の唇を舌の先でつつき、そこらじゅうについているであろうチョコレートたちを食べていく。混乱したままの私はさておき、追加されたチョコレートを自分の口のなかに放り込んだと思えばそのまま深く口づけされるのだから体の芯はどろどろに溶けて熱を帯びていく。
 目をつむる暇もなかった。子どもの口約束からの延長線上、なんでもないような戯れ。年々繰り返されるバレンタインの贈り物。今年も、同じものだと思っていたのに、一線以上を超えた関係に?の火照りが冷めてくれない。

ちゃんは僕がふざけているのだと思っているのだろうけど、ちゃんと本気だってこと、これで伝わったかな?」

 はい、と返事をすると、いい子、と頭を撫でられた。
 ぐるぐると混乱したなんの役にも立たない思考のさなかで、とにかく今年は英智くんのためにチョコレートを手作りしなければと、かたく誓った。