「本当に、すみません」

 さんさんと照りつける朝の白い太陽のもとで、友也くんは腰を見事な九十度に曲げて謝罪のポーズをとっていた。

「友也くん……五分の遅刻で大げさだよ」
「大げさじゃないです! ああもう、寝坊さえしなければ……。いや、あの電車を逃さなければ……」
「たったの三百秒だよ。ちょっとだけだったよ」
「だめです。だって、今日はさんのお祝いなのに。俺から誘ったのに、それなのに遅刻するなんて」

 直角の体勢で動こうとしない友也くんの肩を掴んでぐいっと持ち上げると、へにゃりと下がった眉毛がお目見えする。額に浮かぶ汗。ものすごく走ってきたのだと物語るその汗をハンカチでそっと拭う。
 入り口近くでたくさんの風船を持っていたうさぎの着ぐるみが、前方不注意の小さな子どもを受け止めた拍子に手をすべらせて、いくつかが空に放たれる。赤や白、黄色や青といったはっきりとした色を持つ丸い風船たちは、夏の朝らしいパステルブルーをふわふわと漂い、遠くの飛行機雲を覆い隠してしまった。

 私が額に触れている間、目を瞑ってかちんと固まっている友也くんがいとしくて、ぎゅっと抱きしめたくなる。よこしまな衝動は息を止めて殺した。





 誕生日をすっかり忘れていたので、友也くんが「お祝い、なにが欲しいですか」と訊ねてきたときはどういうことかと思い悩んでしまった。祝われるようなイベントに心当たらず、しかもそのときの友也くんの格好が中世ヨーロッパの王子様のようだったので、思考があちこちに分散してうまく頭を働かせられなかった。おそらく、演劇部の部長に無理矢理着せられたのだろうけれど、普段の可愛らしいユニット衣装とのギャップがあり、違うひとのように見える。

さん? あ、この服装のことは気にしないでください……。似合ってないのはわかってるんで」
「え? 似合ってるけど。本物の王子様みたいだね、友也くん」

 エイリアンのスーツを着せられていたときよりも奇抜さはないが、やさしい顔立ちの友也くんに不思議とすとんと似合っていた。そんな格好をした自分よりも少し背の高い男の子に「なにが欲しいか」と訊かれたら、まるで演劇の中の出来事のような、非日常を感じる。

「お祝いって、ものじゃなくて、こと、でもいいの?」
「こと?」
「うん。私、友也くんとデートがしたいな」

 たすきのようにかけられている大綬をそっと掴んで引き寄せる。きょろきょろと目を動かして辺りにだれもいないのを手早く確認した友也くんは、戸惑うように唇をぎゅっと引き結んで、私の頬にくちづけを落とした。
 そんなことでいいんですか、と自分の行為に照れたままどこか拗ねた口ぶりで確認をしてくる。だって私がそうしてほしいと思ったから、それがプレゼントなの。





 眠る前に送られてきたおやすみなさいのメッセージよりもずっと後に眠ったのだろうか。寝坊をしたという友也くんの目の下には薄らとした隈ができており、その隈を指の先でさわって確かめたくなったのだけど、ここは屋外なので持ち上がりかけた手をそっと下ろした。どうも、友也くんを見ると触りたい欲が身体の下から込み上がってきて、下手をしたら痴女めいた挙動を起こしてしまう。


「スカートなのに馬に股がるんですか?」
「だめ?」
「普通にだめだろ……」
「……ふつう?」
「そこは、今は突っ込まなくていいところなんで」

 幼いころぶりにメリーゴーランドに乗ろうとしたら友也くんから駄目出しを食らい、私は背の高い馬から引き離されて南瓜の馬車のところまで連れていかれる。白くて丸いフォルムのそれは金色のごてごてとした飾りをふんだんにくっつけられて重たそうな見た目をしていた。

「股がってスカートがめくれたらどうするんですか」
「そしたら友也くんが直してくれるんじゃないの? 直してくれないの?」
「なっ、直しますけど!」

 階段の踊り場で、王子様の格好をした友也くんになにが欲しいのかと訊かれたときの格好が頭について離れない。そのおとぎ話の感覚を引き摺ったままだったから、記憶よりも大きな作り物の馬に乗せてもらおうと思ったのだけど、制服のスカートよりも細かいプリーツの柔らかいスカートがめくれるのを良しとしない友也くんに寄る辺なく却下され、ふたりで向かい合って馬車に乗り込んだ。
 オリオンブルーの塗装がところどころ剥げている。影のできたところに入ると心持ち涼しくて、ほっと息を吐いた。

「暑いですよね」
「うん。夏だからね」

 何の気なしに切り返すと、友也くんは困ったように笑って「すみません」と言うのでびっくりした。

「友也くん……。天気はどうしようもないことだよ」
「いや、デートっていうとなぜかどうしても遊園地しか思い浮かばなかったんですけど。こんなに暑いんだったら水族館とかにすればよかったって思って。さん、汗かいてるし」

 ごうん、と機械の仕掛けが鈍い音を出して、メリーゴーランドが動き出す。ゆったりとした動きに合わせるようにして、曲名も知らない音楽が流れた。

「夏だから汗はかくよ。たぶん水族館でも汗かいちゃうかも」

 さっき自動販売機で買ってもらったペットボトルのサイダーを飲む。また皮膚が湿った気がした。

「水族館なら薄暗いから、ずっと手を繋いでられるもんね」

 なかなか触ってきてくれないから、私ばかりが友也くんに触りたい欲をくすぶらせていた。友也くんは私が暑がっているのを心配していたのだ。それなのに私はといえば朝っぱらからずっと友也くんに触りたくて悶々としており、自分がどれだけ浮かれていたのか思い知られて、ぐっと恥ずかしくなる。
 このデートの計画を丸投げして、サイダーを奢らせて、ちゃらんぽらんといちゃいちゃする光景を熱心に夢見ていたのだ。なんてことだ。デートはひとりでするものじゃないだろうに。

「……べつにっ、遊園地だからできないことでもないだろ」

 馬車の動きが緩やかになったころに、ずっと黙ったままだった友也くんが口を開く。馬車のくり抜かれた窓から真っ白な太陽が浮かぶ午前の空を見ていたせいで目がちかちかする。

「遊園地でだってできます」
「なにを?」
「手を繋ぐことだって言ってんですよ」

『完全に停止するまで動かないでください』のアナウンスを聞き終わる前に、指を絡められて引き上げられる。動かないでって言われたのに、照れ隠しで怒ったふうを装っている友也くんには聞こえていなかったのだろう。

「お、おお……」

 指をすべて絡ませる貝殻繋ぎのまま、あてどもなく歩き回る。正午に近付くにつれて遊園地の中には人が増えていき、また、気温も上がっていく。ジェットコースターが頂上から滑り落ちる音。明るい悲鳴。子どもの手から伸びてふわふわと揺れる鮮やかな風船と、賑やかな虹色の音楽。

「……でもやっぱり暑いなら、いまからでも場所を変えますか?」

 強気に繋がれた手とは裏腹に気弱そうな色を声に乗せるので、強く首を振って嫌だと主張する。

「今日は絶対に遊園地がいいの。暑くて動けなくなったらそこのゲームセンターでワニ叩きをしよう。それと、今日のお礼にジェラートを奢ってあげる。お昼ご飯が食べられなくなっちゃうから半分こしようね」

 私のために走ってきてくれた男の子が立てた私のための計画をまるっと信じて、丁寧になぞって、一日を過ごしたい。
 友也くんに触れたい欲にかられて、やわらかなの中に男の子らしい硬さを見え隠れさせている手をぎゅっぎゅっと握る。友也くんが小走りになり、前のめりになる。今日のために用意した柔らかいスカートが夏風で裾がふわりとそよいだ。