魔法使いたちはそれぞれ個性的だけれど、一様にやさしく、困っていたら必ず誰かが助けてくれるので、魔法舎での生活は快適なものとなっていた。おいしいご飯と、ふかふかのベッド。この環境で生活できるということは、きっとかなり恵まれていることなのだろう。
 だから、知らない世界にやってきて、わからないことに適応しなければならないというプレッシャーを感じるなんていうことはあるはずがないのに、説明しがたい緊張感は増していくばかりだった。

 今日は朝から体が火照っている気がする。
 お昼ごはんのグラタンがなぜか食べづらくて、最後まで食堂に残ってちびちび食べていたら、ネロに「無理すんなよ」と言われ、お皿を取り上げられてしまった。「ごめんなさい」と言えば、「部屋に帰って休んだほうがいい」と静かに叱られる。その通りにするべきだと思っていたのに、なんだか外の空気が吸いたくなって、足は自然と外に向かっていったのだった。

 情けない姿を人に見られたくなくて、人気のない庭のさらに垣根の向こうに体を隠す。ほんの少し空気を吸って、満足したらネロの言う通り部屋に戻るつもりだったのに。
 静かな場所に力が抜けて、ずるずるとその場に座り込む。土が冷たくて気持ちがいい。この世界に来てから、自然の香りがなんだか甘いように感じて、散歩をして深呼吸するだけでも体の中身が澄んでいくような気分になる。
 吐き出す息が熱い。さわさわと揺れる葉っぱが眠気を誘う。部屋にも戻らず外で眠って、挙げ句の果てに服を汚したのだと知られたらネロに顔をしかめられそう。

「賢者様」

 ぎゅっと土が踏みしめられる音が聞こえた。だけど、そのときにはもうまぶたが降りていたから、誰が私を呼んだのかわからなかった。





 賢者と呼ばれる人間は、寿命が短く、魔法も使えず、指先ほどの魔法で簡単に死んでしまいそうなくらいに弱々しい子どもだった。これくらいの歳のころ僕がどんなだったかわからないが、賢者は魔法舎でも、そしておそらくもとの世界でも、豊かな生活を送っているのだろうと思う。そうでなければ、あんなに呑気な顔で毎日を過ごしている理由が証明できない。

「賢者様、こんなところで寝ていると踏みつけちゃうよ。それとも、踏み潰されたいの?」

 反応がない。つまらないと思いつつ、葉の影をうつした顔を覗く。いつもは健康的な色の熱を持っている頬は今や青白く、反して、唇の隙間から吐き出される息は変に熱い。
 浅い呼吸だ。死にかけているのだろうか。どうやら僕はかなり面倒な場面に遭遇したようだ。

「ねえ、ちょっと、賢者様……」

 肩を揺さぶっても目を覚ます気配がなく、心が変な感じに動くと同時に、じわりと額に汗が滲む。僕しかいないところで死なれたら困る。フィガロや双子あたりに僕が手をかけたと思われたら殺されかねない。あいつらはこの弱い人間を気に入っているのだ。

「……悪趣味」

 外套を脱ぎ、賢者の上にかけてやる。もぞりと動いた体が猫みたいに丸くなった。ため息をついて外套の下に来ていた上着も脱ぎ、外套の上に重ねる。さらに帽子を顔に被せて陽の光から隠した。
 今もなお変な感じに動き続ける心を抉り取ってしまおうかと思ったが、これを放って死んでいるところを誰かに見られるのも面倒だ。結局、この場から離れる以外の選択肢を選べず、賢者のそばに腰を下ろした。風が涼しい。こんなに過ごしやすい日に死なれるなんて迷惑だから、とっとと目を覚ませばいい。そして、いつものように呑気に笑っていればいいんだ。





 目を覚ましたら視界が暗くて、夜になるまで外で寝てしまったのかと思って驚く。しかし、遠くの芝生が太陽に照らされて黄緑色に光っていたから、そうではないことに気がついた。

「え……、なに」

 体の上に見覚えのある二枚の布がかけられていた。一枚は白色のもの。もう一枚は、縦縞模様のもの。
 頭を動かしたら、さらに白を基調とした帽子がずり落ちる。自分の髪に葉っぱが絡まっているのに気付く。なんと、オーエンが私を見下ろしていた。

「オーエン……?」
「やっと起きたんだ、賢者様。死んじゃうのかと思った」

 オーエンはいつものにやにや笑いをしていなかった。帽子がないから表情が見え易かったのだろうか。少しだけ眉を下げて、静かに息を吐く。そして、黒い手袋を外して、私の額に指先を滑らせた。

「し……死なないですよ」

 病気だとしても、軽い風邪だろう。外で眠ってしまったのは不覚だったし、オーエンに発見されて服をかけてもらうなんて予想外だったけれど、この程度の風邪であればしっかり休んだらすぐに治るはずだ。

「ふうん、そうなんだ」

 私の額の上で何度か指先を往復させてから元のように手袋をはめて、独り言のように呟く。薄めの反応になんて言えばいいのかわからず、オーエンがかけてくれた帽子についた葉っぱを手で払い、お礼を言いながら返却した。物言いたげにそれを見るだけのオーエンの目からは感情が読み取れない。意地悪に笑ってくれたらいいのに、すらすらと言葉が出てこないオーエンになんだか調子を崩されてしまう。

「賢者様、病気になったんでしょう」
「多分……。そうだと思います」
「それってどうやったら治るの?」
「これくらいだったら、寝たら治ります」
「そう」

 じいっとオーエンに見下ろされたままの体勢は落ち着かない。だけど、体を起こそうと地面についた腕はすぐに崩れる。寝起きで力が入らないのか、自覚しているよりも熱があるのか、ぐわんと頭が揺れてオーエンの胸に顔から突っ込んだ。私を抱きとめてくれたオーエンがびくりと震えるから、申し訳なくなる。

「……立てない、みたいです」
「それくらい見ればわかる」

 拗ねた口調のオーエンはとうとう困り果ててしまったようだった。戸惑う指先が私の肩を掴み、視線が合わさる。膝の上でくしゃりと皺を作るオーエンの上着を握りしめて黙っていると、おずおずと沈黙が破られた。

「……ねえ、抱っこしてくださいって強請ってみてよ。上手にできたら、ベッドに寝かせてあげる」
「抱っこしてください」
「もうちょっと迷うとか考えるとかしたらどうなの」

 魔法使いのみんなが優しいから、なるべく元気のない姿を見せたくなかった。だけどそれはあくまで健康なときにしかできないことで、熱が出ているのでは仕方がない。この期に及んで見栄を張る必要もないだろう。

「……でも、動けないので」
「見ればわかるってば」

 顔をそらして帽子をかぶり直したオーエンは、草と土で汚れた私を抱き上げる。思い切り引っ張り上げられて膝の裏が痛む。魔法でどうにかしてくれるのだと思ったのに、驚いてオーエンを見上げる。気恥ずかしさで頬が熱くなる。

「……重たい。最悪」
「すみません……。オーエンが病気になったら私が看病しますから」
「へえ。賢者様は僕の看病をしたいの? そしたら、こうやって抱っこもしてくれるわけ?」
「オーエンは抱っこしてほしいんですか?」
「なんかむかつくなあ……。ちゃんと掴まっていないと落とすよ」
「は、はい」

 オーエンの首の後ろに回した腕に力を入れたのを合図に、転移魔法が発動する。力加減が上手ではないせいなのか、抱きしめられる力が強くて痛みを感じるが、決して落ちることはないのだろうと確信する。このまま眠ったらオーエンにもっと迷惑をかけてしまうのだろうけれど、ほっとしたら体から力が抜けていき、眠気に抗う余裕もない私は、たやすく眠りに落ちていったのだった。