凛月が私に好きだと言ったことを、夢の出来事だと思うときがある。確信は日に日に増していく。お互いに好きだと確認しあったのだから、手をつないだりキスをしたりお互いの家に行ったりするのではないか。凛月はもともとスキンシップが激しいほうだったので、手が早く、それらが数日経たないうちに過ぎ去るものだと覚悟をしていた。だからいつもお肌の手入れは怠らずにどんとこいの姿勢を保っていたのだけれど、肝心の凛月といえば、キスはおろか、手をつなぐことさえせずに、淡々と日々を過ごしている。親密になる以前の問題だ。どこか他人行儀でさえある。
そうして凪いだような二週間ほどが経った今、凛月が私に指一本も触れなくなった事実を認め、ショックのあまり免疫が弱り、高熱が出て寝込んでしまったのだった。
○
残念ながら健康体であるため風邪(というか、おそらく知恵熱)は一日で治り、念のため二日ほど学院を休んだら悲しいくらいに快調になり、欠席の言い訳もないのだが凛月と顔を合わせるのが億劫だったので登校する気にはなれなかった。とはいえ家にいたら母親の目が光ってしまうし、街をぶらぶらしていたら制服のせいで警官に目をつけられてしまう。結局、行き場所は学院しかないのだ。
「だからって、ここを使うなよ。困るのは俺なんだぞ」
「……病み上がりなので」
校門をくぐり、生徒の波から外れて保健室に身を隠していると養護教諭はさして困っていなさそうな顔で言い放つ。椅子に深く腰をかけてお茶を飲みながら新聞を読んでいる横をすり抜けてベッドに潜り込んだ。二日間眠って過ごしたせいで布団の感触には飽き飽きだったはずなのに、真っ白でぱりっとしたシーツは冷たくて?をあてると気持ちがいい。すぐに眠ってしまいそうだ。
「休んでもいいけど、休み癖がついてしまう前に教室に戻りなさいよ」
生返事をして瞼を閉じるとすぐに眠気が押し寄せ、逆らうことなく意識を沈めた。
眠って過ごす時間が長すぎると身体が休息に慣れてしまって、だんだんと眠る時間が増えてしまうかもしれない。凛月のように所構わず眠ってしまうのはまずいが、惰眠をむさぼるのは確かに気持ちがいいので、睡眠の確保をだいじにしている凛月の気持ちもわからないでもない。
その凛月が貴重な睡眠時間の一部分を私のために使ってくれたのは嘘じゃないはずだから、愛想をつかされたとかではないと思いたい。もしそうであれば、凛月はきちんと面と向かって「別れよう」と言ってくれるだろう。曖昧な関係をずるずると続けるのはとても面倒だから、凛月はきっとすっぱりと決着をつける。
「具合はもうよくなったの?」
学校を休んでいる間、凛月からのメッセージには返信ができずにいた。やっと登校した今日も教室には行かなかったから、顔を合わせるのは三日ぶりだ。
カーテンの布地を通り抜けてきた蛍光灯のひかりが凛月の白い?を浮かび上がらせている。夜まで眠ってしまったらしく、頭が淀んで重たい。
「……よくなった」
「そう、よかった。連絡くれないから心配してたんだよ」
返信のないことを責めないところに違和感をおぼえる。欲求に素直な凛月が「心配してた」なんて殊勝な言葉だけで終わらせるのはそっけないと思う。もっと怒ってくれたら嫌な音を立てる心臓も、もうちょっとましに動いてくれるんじゃないだろうか。
「ごめんね。熱があって」
「いいよ別に。それよりもう帰ろう? 、暗いの苦手でしょ」
「一緒に帰るの?」
「嫌?」
質問には答えずに寝転んだままベッドの縁に腰掛ける凛月を見上げて、そろそろと腕を広げた。
「どうしたの?」
突然の行動に目を見張った凛月は私の思惑を裏切って抱きつきはしてくれなかったので、広げた腕はそのままに、凛月から目を逸らす。なんだか額に汗が滲んできたような気がする。
「……凛月、私のこと好きじゃなくなった?」
「え?」
腕を広げるよりもぽかんとした表情の凛月を目の当たりにすると、欲の深さを隠そうともしない行動や発言が途端に浅ましく、恥ずかしく感じて顔が熱くなる。
大急ぎで体勢を変えてうつぶせになり、乱暴に顔を枕に押し付けた。さらに、自分の体温を吸い込んですっかりあたためられた布団を頭から被って凛月の視線を防いだ。
「ねえ、」
布団に手をかけられる危険性を察知して、いちはやく「だめ!」と叫ぶ。
「凛月は、さ、先に……帰ってて……。一緒にいたら風邪うつしちゃうかもしれないし」
「治ったんでしょ。今日は一緒に帰るよ」
「でも、私、もうちょっと寝ていたいから」
「じゃあ俺も一緒に寝る」
一歩も引かない様子に、布団ごと頭を抱える。ぎゅうっと目をつむっても状況は変わらないのに、現実から逃げたい一心で視界を閉ざした。ただ、眠る直前のような心地よい眠気は訪れる気配は微塵もない。全身に広がる熱が痛く、決して立ち去らないであろう凛月の存在に自然と耳が傾く。
「がさっき言った意味、わかるよ。俺がに触らなくなったの、気にしてるんでしょ」
私には聡い凛月を誤魔化せるほどの話術を持ち合わせていないから、言い訳をしたところで墓穴を掘る結果しか見えない。ぐっと口を結んで、素直に頷く。布団を被ったままだったが意思が伝わったのだろうか、柔らかく息を吐く音が聞こえた。耳が敏感になっている。
「に触りたくないんじゃないよ。むしろ、毎日触っていたいくらい」
「……じゃあ、好きなだけ触ればいいんじゃないですか」
「それができたら苦労しないよねえ」
「私、なにかおかしいところでもある? くさいとか……?」
「はいつもいい匂いだから大丈夫。だから、そろそろ顔を見せてよ」
「……やだ。凛月が触ってくれるまで出ないから」
私だけが恥ずかしい本音を吐露して全身熱くさせているのに、凛月はなにも教えてくれないのは不公平だ。なんとしても凛月の本音を引き出さなければとぎゅっと手に力を入れてやり過ごそうと意気込む。両手に力を入れて握っていた布団の端っこたちが簡単にすっぽ抜けたのは、凛月が細身な見た目よりもずっと力持ちだからだ。
枕にうずめていた顔を後ろに向けるように首を回すと、その顔色を確認する前に背中に覆いかぶさってくるものだから苦しい呻き声が漏れ出た。
「りーつー! 重いよ、どいて……! 私に触りたくなかったんじゃないの」
「そうじゃないって言ってるじゃん」
「私は……、凛月のことばっかり考えてたせいで具合が悪くなったのに」
「うん、ごめんね」
肩に額を押し付けてくる凛月の声は遠慮深い。
「そんな声出すの、ずるい……」
足をばたつかせて抵抗する気も失せてしまい、脱力したまま枕に顔を預ける。
細身といえども男の子の図体に押しつぶされるのは苦しくて、手探りで凛月の腕を叩いて降参の合図を送る。一連の攻防戦が嘘のようにあっけなく横に転がってくれて、圧迫されていた肺にたくさんの酸素を送る。寝っぱなしだったから上半身を起こすと骨が軋んだ。
横になったままの凛月の前髪は乱れていて、透き通る赤い目が熱っぽく湿っており、どきりとした。「ん」と言いながら手を差し出してくるので仕返しに一度は無視したら強引に握られる。久しぶりに感じる凛月の皮膚は、褪せかけた記憶よりも熱い体温を保っている。
「凛月、手あったかくなったね……」
「汗ばんでない?」
「え? 汗ばんでないと思うけど……。暑いの?」
「緊張してるの」
「凛月が緊張?」
ちょっとむっと顔を歪ませた凛月は握っていない方の手を自分の胸に当てさせる。薄い胸の奥のほうでどんどん鳴っているのは心臓だ。つくりもののように綺麗な凛月にも血を巡らせるための器官があるのだなあと感心する。そのせいで「どう?」と尋ねられた意味をはかりかねた。
「凛月の心臓が動いています」
「当たり前でしょ……。そうじゃなくて、速い? 遅い?」
「速いかも」
「かも、じゃなくて、速いんだよ」
「そうかな。私と同じくらいだよ」
「じゃあも緊張しているんだねえ」
「触ってもらったの久しぶりだもん。ずっと緊張してたの?」
「情けない話だけど」
「凛月、かわいい」
「のその顔、すっごいむかつく……」
久しぶりに触った凛月の髪は羨ましいくらいさらさらで、掬っても指の隙間から滑り落ちていく。顔に毛先が当たるたび、鬱陶しそうに眉を寄せている。
言葉も表情も初めてのものが多くて、もっと近いところから見たくなった。凛月のとなりに寝転がって顔を近づける。にやにやし始めたときから不機嫌になった凛月にすかさず両手首を掴まれてシーツに押し付けられる。そうして、私の上に馬乗りになる。
「が二日も連絡をくれなかったから、怖かった。俺の態度が変わったことに気づかれているのを知っていたから、そのせいだって後悔もした。このままずっと会えなくなったら嫌だって思った。のこと、たぶん、俺のほうが好きだよ」
怖じ気ついて凛月からのメッセージを無視していたせいでこんなにも不安にさせていたのだとようやく気がついた。緊張していたときとは種類の違う痛みが胸をじわりと締め付けて、押さえつけられたままの腕を動かすがびくともしない。
「私は熱が出るくらい好きだよ」
自分から凛月に触れたことが少ないくせに、なんだか悔しくなって言い返す。実際にここ半月は起きている限り凛月のことを考えて過ごしていたのだ。大好きでないはずがない。
白い?に赤みが差し込んでいるのが見えた。視線は交わったまま離れず、眉間に皺を寄せた凛月の顔がだんだんと近づいてくる。
「そんなに言うなら風邪ちょうだい」
「もうなくなったよ」
「一緒に帰っただけでうつるくらいは残ってるんでしょ」
「根に持ってる」
「記憶力がいいの」
至近距離で見た凛月の瞳は色のついたもので染め上がっており、この期に及んで逃亡をはかる気をなくさせる。
唇が重なった時間はあまり長くなかったけれど、温もりを分け合うにはじゅうぶんだった。押さえられていた手をいっぱいに広げて凛月の頭をぎゅっと抱きしめる。ずっと抱えていた熱の一部分でもいいから、どうか凛月にも伝わってくれればいい。