1.
「私の恋人になってください」

 研磨くんの好きなところをすべて口上すればよかったのかもしれないけど、そうしたらとても時間がかかってしまいそうだったので、諦めて要約したらなんともご丁寧な告白の文句が出来あがった。なにも時間に追われているわけではない。私にはそれなりに自由時間があるので無理に急ぎ足になる必要はないのだけど、緊張しながら長い時間を耐えるだなんて無茶なことに思えたのだった。そうして私の告白を受けた研磨くんは眠たそうな目に、あ、驚いている。唇もわずかに開かせてぽかんとしていたのだった。気力をすべて売り払ってしまった表情が定番のくせして、こんな顔を向けてくれるらしい。告白は恥ずかしいけどこんな顔を引き出せたのならそれで良かったかなあと良い方向に考えを誘導して、ばくばくいって今にもぱちんと破裂しそうな心臓を誤魔化す。

「……う、うん」

 ようやくいただけた返事はなんでもない相槌でしかなかったので、体育館裏まで届く運動部の怒声に吸い込まれてしまいそうだった。うんって……うんってなに?

「言ってる意味は、理解できた」

 一心に戸惑いながら見られて焦りが生まれる。私は研磨くんを困らせているのではないか。「恋人になってください」と言って「理解できた」と返されるとは予想外だった。理解はできたけれど誰がお前なんかの恋人になってやるもんか、とのお返事なのだろうか。おれはそこまで言わないからどうか察してください、と。風に揺れる木々の葉がざわざわせせらわらっているこの放課後に、制服姿のわたしと運動着の研磨くん。手を擦り合わせたり、地面を見たり空を見たり、じんわりと汗をかいてみる。ああもう、居たたまれない。このままもの言わぬ石像にでもなって先史時代の遺跡に保存されていたい。

「……? あの、それで、いいの?」
「えっ! へ、いいのって?」

 なんとなく、私は研磨くんのふわふわして重要なところが抜け落ちてる言動に慣れているものだと自信を持っていたのに実はそうでもないらしく、盛大にどもってしまった。

「いいのって、なに?」

 深呼吸で息を落ち着けてからもう一度聞いてみる。喉はありえないくらいに乾いていた。声を出すたびにぎしぎし痛む。

「……おれの」
「研磨くんの?」
「だ……だから、今が言ったんじゃん」
「え、あの……?」

 クエスチョンマークの洪水に呑まれて苦しい。噛み合っているのかどうかも不明。考える力を持ったわたしはとっくに行方不明。

がおれの恋人に、なるって」

 それでいいんだよね、と念を押した頬は赤かった。真ん中で分けた髪から覗く額がとんでもなく可愛いと思えた夏の日は、蝉の声に混じった喧騒が膜を張ったように遠くで聞こえて、こめかみを伝う汗がするすると肌を撫でていた。
 まだ夢の中を泳いでいるみたいだった。研磨くんと最後に一度だけ目を合わせてから覚束ない足取りで教室に帰る。自分の席に座る。古びた机と椅子が真新しいものに生まれ変わったように見えただなんて、馬鹿みたいなことを本気で思った。冷えた机の表面に頬をつけて目を閉じる。いくら冷却をしても熱は繰り返しに生み出される。
 でも、恋人って具体的になにをするものなのだろうか。

 私たちがそういう関係になったことを鉄朗くんに報告したら、顔いっぱいに笑顔を乗せて喜んで自動販売機のオレンジジュースを奢ってくれた。

「あいつ、昨日ずっとそわそわしてたからなにかあったのかと思ってたんだけど、そういうことだったんだな。お前ら付き合うことになったんだな」

 鉄朗くんが知らされてなかったということは、おそらく他の人も知らないのだろう。誰にも、言ってなかったの。沁みるように酸っぱいオレンジ味を舌の上で弄びながら付き合うという不思議な五文字の日本語に思いを馳せていると、なんだか恥ずかしくなってきて体温が上がってしまう。



2.
 なんとなく、なんとなく、たまに一緒に帰って、たまに学校でお喋りをしているだけ。恋人になる前となった後に違いはない日々。お前ら本当に付き合ってんのかよと鉄朗くんに心配されてむっとして咄嗟にそうだよと強く言ったけれど、心臓が嫌な軋み方をしたのをなかったことにはできない。でも私は研磨くんとなにか……たとえば、キスとかもしくはそれ以上の恋人がこなす数々のことをするために恋人になったわけじゃない。ただ、これからも一緒にいたいって思ったら言わずにはいられなかったのだ。

「ふうん。じゃあそういうことしたくないんだ」

 上級生の教室に来るのはいやだろ、と鉄朗くんはいつも気を遣って体育館裏で密会をしてくれる。ここはわたしが研磨くんに一世一代の大告白をしたところ。
 熱烈な陽光を受けている鉄朗くんの横顔はどこかにやついていた。

「……したくなくはない」
「ほれ見ろ」
「で、でもよくわかんない。それに研磨くん、あんまりこっち見てくれないし」
「そんなの、お前からいけばいいだろ」
「絶対無理」

 人ごとだと思って好きなことばかり仰られる。目を合わせるのも大仕事なのに、それ以上のことを自然にこなすなんてできると思っているのか。したい、したくないの騒ぎではない。それになんか、そういうのって急いでやるものではないと思う。きっとタイミングが巡ってくる瞬間というものが必ずあって、そのとき初めて頭にぴんと来て成し遂げられるものではないのだろうか。私はそのようなことを提案してみたのだけど、鉄朗くんはドン引きして「そんなんだと研磨に捨てられっぞ」と仰られた。暑さが染み出す汗が冷たいものが変わった瞬間のこと。

 ソーダ味のアイスをかじりながらスマートフォンの画面を眺める。研磨くんの電話番号が表示されている画面をずっと睨んでいる。アイスが溶けそう。半分だけ乾いた髪が頬にくっついて鬱陶しい。声を聞きたいと思った。鉄朗くんに不吉な予言をされたのに、今日は部活が遅くなるから一緒に帰れなかったのだ。現実になりたがる予言がむくむくと成長してしまう。それを食い止めるために、声が聞きたいって、とても。



 耳に電話を介して伝わる声に鼓膜が震える。私は自分からかけたくせに「はい、です」ととんちんかんな受け答えをしてしまう。研磨くんはそれに少し笑ってくれたので、私も強張っていた心がいくらか溶けて両足の親指を絡ませた。

「なにかあった?」
「ううん。なんでもない」
からかけてくるの珍しいよね」
「えー?」
「珍しいよ」
「でも研磨くんもかけてこないじゃん」
「……そう?」
「はい。寂しいです」

 ぽってりとした沈黙。耳の奥でこだました自分の声にびっくりして我ながら意味不明なことに「じゃ、じゃあおやすみ」と早口で伝えて電話を切ってしまった。意味不明だ。うまく話せない。感情に名前をつけることと、感情を制御することが難しい。抱えた膝の上に滴が一つ落ちる。髪から落ちたものか、それとも別のなにか。あれほど待ち遠しかった明日がこれほどまでに怖いものになるとは。こういうときは眠ってしまおう。元気は睡眠から摂るに限るって、研磨くんがそう言っていたのだと思い出すと本当に泣いてしまいそうだった。私は研磨くんから貰った言い伝えを守り、布団に潜り込んでおやすみの世界で目を瞑った。

 目覚めきれていない朝、スマートフォンがちかちかと優しい色でお知らせを主張しているのに気が付いた。大きな口で欠伸をしながら画面を覗けば、そこには一件の着信と一件のメール。呼び出しは一分と少しで止まっている。メールは、たった一行の言葉の羅列を届けてくれていた。研磨くんからわたしへ旅するあのとき途切れた言葉。おやすみ、の四文字。私の眠気は初めからなかったように飛んでいき、残ったのは嬉しさと、そして息を吐かずにはいられないくらいの大切な息苦しさ。



3.
 今日以上に学校が待ち遠しい日はそうそうない。浮かれきった私は学校に行く途中一度だけ電柱にぶつかった。痛かったし恥ずかしかったけどすぐにどうでもよくなった。そんなことより早く研磨くんに会いたいな。いつも食べている朝ご飯の目玉焼きもものすごく美味しく感じた。一通のおやすみメールでこれほどまでに幸福になれる私はつくづく単純にできている。今日は最高の日です。ほら、朝練帰りの研磨くんに出くわすこともできたもの。

「こっち」

 三文字の中に込められている意味はわからないけれど、研磨くんは私の手を五秒くらい見て考え込んでから、決心をつけて人差し指と中指を握ってきた。ぎゃ、と可愛くない声が喉から漏れ出てしまいそうになったので、慌てて空気を呑み込み我慢をする。これは初めての感触。指先から夏の気温が膨らんでいきそう。ささやかだけれどしっかりと握り返し、研磨くんの背中についていく。早送りをした拍動は歩く速さを追い越してしまう。

 他のものなんてなにも見えず、気付いたときには私が研磨くんに告白をしたところ、そして鉄朗くんと密会をするあの体育館裏にいたので、何度か瞬きをした。ここに来るまでの私は随分とぼんやりしていたけれど、意識がふやけていてもきちんと足を動かして着いて行けたのは研磨くんが指を握ってくれていて、そして研磨くんがバレー部の目立つ赤色のジャージを着ているからかもしれない。予鈴の音が耳まで届き、はっとする。

「けっ研磨くん。授業始まっちゃうよ」
「ん、貸して」
「へ? なにって?」
「鞄。貸して」
「あ、はい。鞄ね。どうぞ」

 思わず差し出してしまうがどういうことだろうこれは。私の鞄を受け取り、それを抱えて体育館の入り口に続くコンクリートの階段に腰掛ける姿を目で追う。なんとなく、研磨くんに倣って隣に腰掛けて鞄を回収しようと手を伸ばすが反対側に持っていかれてどうしようもない。私よりも研磨くんの方が腕が長いのであった。困り果て、ぼんやりな瞳をのろのろと見返すと、珍しいことに逸らそうとしない。すごい、目を合わせる時間がうんと長いし、ここまで来たら外すタイミングが見つからない。研磨くんの頬が赤くなってきたということは、私も似たようなものだろう。

「……ちょっと」

 頬を手のひらで押しやられ、首がぐるりと回る。視界もおとなしく前に戻された。つまんないの。
 教科書や筆記用具の入った鞄は捕虜として研磨くんの隣で静かにしているので、すべてを投げ出して教室に向かうわけにはいかなかった。道具なしで席につくなんて意味がない。学ぶ気はあるのか?
 私は居住まいを正し、スカートの皺も気にせずコンクリートにどっしり落ち着く。さわさわと風が頬を過ぎていく。でもきっと、もっともっと暑くなる、つかの間の夏の朝。

さ、昨日、電話してきたじゃん」
「んー……うん、うん。電話ね。かけました」

 言いながら、ぽすっと肩に頭を乗せてくるからちょっと照れくさかった。今日は研磨くんがやたらと近づいてきてくれる日。嬉しいけど、どきどきして体がもちそうにないから好きな人って少し大変。肩に乗っかる頭に自分の頭を寄せるとぴくりと動くからおもしろくて小さく笑う。あ、本鈴。

「あんなとこで切るから気になった」
「え……? 研磨くん、私のこと気にしてくれてたの?」
「……おれのことなんだと思ってんの」
「だって、ええ? えー……?」

 着信のあとに入っていたメールは電話のことに微塵も触れていなかったから、てっきりなんてことのないことだと決着を付けたものだと。そう言えば、研磨くんはしばらく黙り、おもむろに頭を引いたかと思ったら次の瞬間には私の肩を攻撃すべくぼすんと打ちつけてきた。鈍く痛い。

のせいで寝不足なんだけど」
「え……ごめんなさい」
「責任とって」
「せ、責任? 私はなにをさせられるの…? 研磨くんの宿題? ドラクエのレベル上げ?」
「昼寝」
「ひるね?」

 一瞬、ひるねって何語かわからなかった。

「寝るから、一限終わったら起こして」

 言い終えた傍からすうすうと聞こえる寝息。おやすみ三秒だ。昼寝って、そういうこと。あのメールを送り出した後も気にしてくれていたのだろうか。夜の中でわたしのことを考えてくれていたの?
 寄り添う体が愛しくて胸がぎゅっと絞られてもっともっと近くに寄りたくて、やっぱり頭をくっつけてみる。頬に当たった髪が柔らかくてくすぐったい。研磨くんがしてくれたように、研磨くんの中指と人差し指を握り込む。男の子の手。細っこいように見えて、骨ばったかたい指。こうして握っていると、淀みなく流れる感情が寄ってたかって、わっと叫ばせようとしているみたいだった。



4.
「おいこの不良共」

 昼休み、研磨くんと空き教室でお弁当を食べていたら、常時おしゃれ寝癖ついでにネクタイをだるんだるんにした鉄朗くんに絡まれた。なぜここがわかったのだろうか。研磨くんとふたり、首を捻って鉄朗くんを見上げていると揃って頭をはたかれた。

「お前ら、授業をさぼってはいけませんって小学生のときに習わなかったか?」
「そ……そうだっけ…」
「先生泣いてたぞ」
「やっぱり鉄朗くんが怖かっ、痛い、いたいいたい、ごめんなさい、もうさぼりません」
「わかればよろしい」

 抓られた頬をさすって謝りの言葉を繰り返す。涙目寸前の視界は鉄朗くんにからあげをつまみ食いされた途端にきちんと涙目になった。恨みがましい視線を送る私をにやりと笑い、ひらひらと手を振って部屋から出て行く。ただ叱りにきただけなのだろうか。鉄朗くんはたまに保護者のようで、お兄ちゃんのようで、行きつくところは歳が一つ上の頼りになる男の人なのでどこか頼ってしまうのだ。その良い例が体育館裏で執り行われる恋愛相談室なのだけれど。

 フォークにウィンナーを刺してくるくる回す。くるくると、思い出が回りに回って歴史を再生する。研磨くんは鉄朗くんの友達だった。私が鉄朗くんと仲良くなって、いつも土手で一緒にバレーボールをやっている研磨くんのことが気になりだして、ある日思い切って話しかけてみたのだった。そのときの研磨くんの反応といったら尻尾を踏まれた猫を彷彿とさせたので、私も研磨くんの驚きに感染して手を組み合わせたままその場で凝固してしまい、呆れかえった鉄朗くんに背中を叩かれるまで向かい合って俯いて黙りこくっていた。所在なく開かれる口は、空気の足りていない金魚に似ていたのかもしれない。

「わ、私はといいます。今から、研磨くんに喋りかけてもいいですか?」

 背中の方に居る鉄朗くんがなんだそれと吹き出してからくつくつと笑う。私はもう死にそうなくらいに恥ずかしくて服を握りながら赤面していたのだけど、初対面でいきなり下の名前を呼んだ私に嫌そうな顔の一つすら見せず、それどころか微かに笑って「別にいいけど……」と呟いた。思えばこのとき、私の失敗や緊張して空回った言動をありのままに受け止めてくれた優しさとか、こちらを見てくれないのになかなかどうしてたくさんのことに気付いてくれることなど、その他のいろいろな研磨くんの表情がどうしようもないくらいに特別なものになっていたのかもしれない。ずっと前から、最初から好きです。

「研磨くん、私と水族館に行こう」

 数年前から現実に帰宅し、フォークも動きを止めた。突然のお誘いに不思議そうに首を傾げるけれど、無視せずにちゃんと聞いてくれる。箸で摘ままれぶらぶら揺れるアスパラを一通り観察してから「うん」と、「いいよ」の二つの短い呟き。その呟きだけで舞い上がった私が「デートだね」と笑いかけると「デートとか言うの、恥ずかしいんだけど」と拗ねた口ぶりを寄越された。私の肩で寝たり、手を握ってきたのにデートは恥ずかしいらしい。ゆるむ頬を抑えきそうにない。今ものすごく研磨くんに飛び付きたい。



5.
 期末テストが近づくと、いよいよ夏が勢力を上げてこちらへにじり寄ってきている気持ちになる。私たちは手をぶつけ合ったりコンビニで買ったアイスを齧ったりしながら帰り道を歩いていた。坂道の一番低いところで線路が揺れている。陽炎といったっけ。ぐにゃりと揺れるコンクリートと、ミツバチみたいな黄色と黒の遮断機。暑いのも寒いのも苦手な研磨くんは肩からずり落ちたリュックを気にせずのろのろと歩く。アイスが今にも溶けそう。

「夏休みは部活ばっかり?」
「……んー」
「テスト勉強してる?」
「ん、うん……ううん」
「研磨くーん、研磨ちゃん」
「ちゃん付けやめて」

 坂道をゆっくり、のっそり、牛舎へ帰る牛よりも遅く進む。ぼやっとした目を前に向けている研磨くんの気力が削げ落ちた横顔を盗み見て、こんなに暑くなかったら迷わず手を握るのになあと残念がってみる。私は平気なのだけど、研磨くんが大丈夫じゃなさそうだもの。目が覚めるような青い空に、ペンキで刷いたような白い雲が光っている。嘘みたいに静かな住宅地を並んで歩いていると、自分の足音がやたらと大きく響く。
 コンクリートが氷になればいいのに。寒くて寒くてたまらなくて、そばにある体温にくっつかなきゃならないくらいに寒くなればいいのにな。あれこれ言い訳をする前に、自然と触れられるしものすごくいいアイデアだと思う。研磨くんは私の手をなんでもないように握ってくれたけど、私の方はそうもいかない。手を伸ばしただけで指先が震えてしまう。震えている指先が視界のはしっこに引っかかるだけで頬が熱くなるからどうにもならない。研磨くんが持っている半分だけでいいから、ここぞというときの度胸を分けてもらいたい。

「研磨くんは、私がもっとひんやりしてたら嬉しい?」
「ひんやり? ……別に」
「アイスはおいしいでしょ」
「冷たすぎないのがいい」
「研磨くんって知覚過敏なの?」
「冷たすぎるといやなだけ」

 かんかんかん、と軽やかな音が道を塞ぐ。細い棒が私たちの足を止めた。立ち止まった途端に汗がふつふつと浮かび上がり、歩いているときよりも体が燃えているのを感じた。つい、とこめかみの汗を拭う。茹だった空気で息をするのは難しい。吸い込むものはどれもこれも生ぬるい。

 電車が通りすぎるのを待ちながら、アイスを口元まで持っていった。一口齧って舌を冷やす。この心地いい冷たさを忘れないでいたいけれど、気温に負けてすぐに溶けてしまう。眉間に皺を集めてもう一口分喉を潤そうとするが、不意に手がなにかとくっつき、包まれ、つられて顔を持ち上げたのとほぼ同時に唇が唇とぶつかる。ぴったりと隙間ない口付けだった。目を閉じる暇もなく、アイスがコンクリートに身を投げる音を耳だけで聞いた。一秒が一時間に生まれ変わったのかと思った。けたたましい音を立てて電車が通りすぎ、遮断機が面倒くさそうに道を開けても私たちは帰ることを始められなくなって。

がいい」

 研磨くんの瞳も火照っている。

が、ちょうどいい。がいい。おれのこと、好きになってくれてありがとう。おれ、あんまり口がうまくないから、を困らせることになるかもしれないけど……」

 ここまで言われてしまえば、もう遠慮する意味なんて一つもない。私は繋がれた手をくいっと引っ張り、素直に腰を屈めた研磨くんの額にキスをした。す、と顔が離れる。振り返ってもなくならない熱を残してアイスで冷えていたはずの唇が遠ざかる。私は私の鳴りやまない心臓にさきほどまで聞いていた踏切のリズムを重ねた。とてもとてもよく似た速さだったから。

「私も研磨くんだけがいい」

 渾身の熱を吐き出して、研磨くんの赤い赤い頬を見つめる。まだ暑くなりそう。もっと汗をかきそう。目を目を合わせたら、絶対にまた触りたくなるのだろう。困らせることもあると思う。だけどよければ、そのときはいやがらずに手を握っていてね。