私の知っている研磨くんはいつもぼうっとしていたし、口でするおしゃべりよりも文字でするおしゃべりの方が好きそうだった。それでも言いたいことはわりと言ってくれるようになっていたから、それなりに、そこそこ、誰かに言いふらせるくらいには研磨くんと仲良くなっていたはずなのだ。自意識過剰でもなんでもなく、クラスで一番よく喋っていると思う。部活も違うのに素晴らしい功績だ。私は私を褒めてあげたい。
照れているのかな、と思ったけれど、そういうわけでもないらしい。いつも通りの顔色で、でも動きだけそわそわさせて、私の前からいなくなっていくプリン頭。朝、下駄箱のところで出くわしてもそそくさと去っていってしまう。お昼休みのお弁当を一緒に食べるのも最近はなくなり、メールの返事は途絶えたまま数週間が経ち、そのころになると私は精神的な傷が生んだ熱で一週間ほど寝込んだのだった。完璧に避けられている。だれとも喋りたくなくなるときってあるよね、わかるよ。私もあるよ。いまだけ、なんでしょう。
いまだけ、じゃなかった。もうずっとそうだった。生きる気力が底を尽きそうで、胃腸がまともに機能してくれなくなった。人生は棘ばかりで、あまりにも辛い。
「研磨くん」
残念なことに体調が治り、鉛くらい重たくなった背中を母親に押され、いやいやながらも一週間ぶりに登校をしたら、下駄箱のところで研磨くんに出くわしたものだから早々に心臓がぎゅうっと押し潰される。わざと遅刻する時間帯に行ったのに、偶然って残酷。人気にない空間がぴりぴりと張って、少しの身動きで破裂しそうだった。
しかも、反射的に名前を呼んでしまったのだからこの口はどうしようもない。研磨くんが私のことを避けるなら、私だって徹底的に避けてやろうと熱に寄り添いながら誓ったのに。研磨くんが「あっ、えっと」とあからさまに困ったんですといったような反応をするからまた傷ついて、病み上がりで弱くなってへにゃへにゃになった涙腺がぼろぼろと崩れる。
「ばいばい研磨くん」
学校に来たけど、もう帰ってしまおうと思った。これ以上この場にいると精神がどうかしてしまう。ずたぼろになっても立ち上がるほどの根性は持っていなかった。ジャングルで修行してこなくちゃ。ばいばい研磨くん。私は遠い土地へ転校しようと思います。
「待って、!」
張り詰めた空気を遠慮なく割り開いたのは研磨くんだった。私は名前を呼ばれたことに驚き、立ちすくんでしまう。名前、知っていたんだ。いつも「ねえ」とか「あの」とか、呼ばれることすらなかったんだもの。(比較的)大声で下の名前を呼ばれて驚くなって方が難しい。
「……帰んないでよ」
「……なんで」
「なんでって、だって、おれ、ここで待ってて」
「え?」
「待ってたんだよ。来るかもしれないって思ったから。ここにいたら絶対会えるから。そしたら今日、やっと来た」
「やっと、って」
研磨くんの喋り方はたどたどしくて、幼く聞こえた。うつむく顔に髪がかかってよく見えない。不良みたいな頭をしているくせに、歩きたての子どもみたいだった。緊張しているのかな。昨日も私を待ってここにいたのかな。だったら嬉しい。でも私はまだ素直に嬉しがれない。
「もう、喋れなくなったのかと思った」
嬉しがるかわりに、泣きそうになる。私はよっぽど研磨くんと喋りたかったらしい。声にしたら意地もへそ曲がりも綺麗さっぱり消えて、泣きたくて恥ずかしくなる。そんな顔を見られたくなくて、転校はしないにしても下校をしようと踵を返すが、研磨くんの手が私を強く引き留めた。またまたびっくりした。びっくりしないはずがない。研磨くんも自分のしたことにびっくりしていたから、足をすのこで滑らせてしまい、私は研磨くんに巻き込まれて下駄箱に後頭部を軽く打ちつけることとなった。
「ごっごめん、頭、ぶつかった」
「大丈夫、うん、痛くなかったし、へいき……」
それよりも、そんなことよりも、研磨くんの顔がとっても近くて平気じゃない。焦っていただろうから、はあ、と息を吐くのはおおいに結構なんだけど、そろそろ私の頭の横についている腕をどかしてくれないかなあ。言外に訴えるため、手を腕に添えてみる。びくっと肩を跳ねさせて目を見開く姿は猫みたいで可愛いのに、お願いごとをまったく聞き入れず、腕に強く力を込めて下駄箱をぎしりと鳴らすのは全然可愛くない。な、なに、なんのつもりなの。
「ご、ごめん。でも逃げられたら困るから」
控えめな言い方なのに可愛くなくてびっくりする。
「いやだから。ちゃんと喋りたかったから。おれ、のことが好きで、好きだから喋れなくなったけど、喋りたいから」
それからは、避けててごめんとか、クロに叱られたとか、書きかけのメールが十通よりも多くなったとか、研磨くんはほんとうによく喋った。ずっとひとりで喋っていた。鼻と鼻がくっつきそうな距離で、恥ずかしい告白の言葉が耳の近くを行ったり来たりしている。研磨くんが私のことを好きだったなんて、知らなかったよ。
「研磨くん、わかりにくすぎだよ」
「……ごめん」
「私が研磨くんのこと好きだって、知ってたくせに」
「うん、それは、なんとなく」
「本当に可愛くない」
笑ったら、どうしてか涙が出た。恐る恐る目尻に触れる指がこれからも私のすごく近いところにいてくれますようにと、目を瞑って静かに祈る。