電車が揺れるたびに私の体も右と左と前と後ろに揺れるので、研磨は顔を青くして私を電車のすみっこに引っ張っていき、足を踏ん張り、正面でどんと構える。今はおとものスマートフォンもポケットにしまっちゃうらしい。背中に当たった電車の壁がかたい。空気が蒸していて、暑い。鞄の持ち手をぎゅっと握り、混みあった車内で研磨を身近に感じる。

「……ねえ」

 声をかけられたけれど、こんなにくっついた状態で顔を上げたらものすごく近くてたくさん暑くなってしまいそうだったので、研磨の靴を見つめながら「なーに?」と返す。

「大丈夫?」
「研磨のおかげで。大丈夫です」
「ほんとに?嘘言ってない?変なやつに変なことされてない?」
「だいじょう、ぶ」

 ありがとう。笑いながら研磨の足に鞄を軽くぶつけた。「そう……」と零れたそれには少しだけ安心が混ざっていたので、なんとか心を軽くさせられそう。青い顔も血色を取り戻してくれたらいいのだけれど。

 去年の夏、満員電車に乗っていたとき、私はどこぞのだれかに体を触られた。そのとき近くにいたのはこのだれでもない研磨で、研磨は泣きべそをかいてシャツの袖を握ってくる私に面食らったように目をしばたたかせ、だけど、次の瞬間には私に触れていたその人間の顔面にスマートフォンを投げつけた。これには私も驚いた。驚きすぎて涙も引っ込んだ。球技でコントロール力が磨かれたのだろうかと、事件の最中に居座っている立場でありながらのんきに分析しちゃっている。事情を察した他の親切な乗客さんが犯人の腕を掴んで、駅員さんを待つためにホームに立ってくれていた。その横に私と研磨がいた。投球をした研磨は一身に注目を浴びたせいで居心地が悪そうに目線をずらしたりしていたけど、暑いのにずっとずっと私の手を握ってくれていたのだった。

 それがはじまりの話。あれをきっかけに私たちは、なるべく一緒に登下校しましょうの誓いを立てた。同じ時間、同じ電車。帰りは研磨が部活で遅くなることが多いので、別々になることがしょっちゅうある。研磨は待っててとあまり言わない。待っていてほしいのかはわからない。違うかもしれない。それでも私は待っていることが多い。放課後、友達とのおしゃべり。家では気が散ってできない予習や課題。空のてっぺんから垂らされた夜がじわじわ溶ける景色と、こうこうと白む蛍光灯。どれも楽しくて、嬉しいこと。

「でもいつも前に立ってもらっちゃって……。研磨の方が疲れてるのに、席空いてても立ってるんだもん」
「え……、あの、座るほどじゃないから」
「すぐ寝られそうなくらい眠たそうにしてるときあるよ」
「そう?」
「うん」

 今だって、部活でたくさん動いた後だからかどこか疲労が滲んでいる。これくらいの疲労を二人座れそうであっても、私は座って、研磨は目の前のつり革に掴まっているだけ。私は自分の鞄を抱えている。研磨は景色を眺めたり、私の話を聞いていたり、私の質問に答えたり。もともと口数の少ない研磨が電車に乗るとその口を一層重くさせることは知っている。その理由が、私のことを注意して見てくれているからだということもよく知っている。さしあたって、私は研磨にたいへんお世話になっている身分であるので、できたら研磨には落ち着いた気持ちで電車に乗ってもらいたいのだけど、たぶん簡単なことじゃない。放課後の暇な時間を利用して護身術でも習得するべきかな。

「……おれ、他人の目が苦手なんだ」

 そんなこと、ずっとずっともう数えきれない日数よりも前から知っているよとは言わないで、研磨の靴を念入りに見ていた。研磨から口をきるということは、まだ話を続けるということ。息を吸う大事な音が聞こえた気がした。

「だから、その……の前に立ってる方が、いいっていうか」
「……疲れていても?」
「疲れてても、そうじゃなくても」
「そうじゃ、なくても」
「うん。ここからじゃしか見えないから」

 人の耳があるところでなんてことを言うの、この子は。黙って頬を熱くさせている私に気付いた研磨は、おそらく慌てて冷や汗なんかかいちゃって、どうしようどうしようって思っているんだ。とっても恥ずかしい。お互いに焦っていること自体が、もうとんでもない質量の恥ずかしさを引き連れてきている。辛抱がたまらなくなる。乗車客がみんな聞き耳を立てているかのような被害妄想に陥り、降りるはずではない駅に着いたとき、衝動的に研磨の腕を掴んで巻き込み二人揃って途中下車をしてしまった。

 小さな駅の小さなホームは人っ子一人見当たらず、電車もここには用はないとばかりに素っ気ない音を立てて扉を閉めてしまい、そそくさと走り去ってしまう。夏に似合うむわっとした空気が頬を包んだ。
戸惑っている研磨はハムスターと同じくらい細やかな動きで私を見たり普段降りない駅の風景を見たりしているので、意を決して手首を掴んだら「うわっ!」と慎ましい悲鳴を上げられた。うわっ、て?
なんだか私が襲っているみたいじゃないの、と不満を言いかけるが、口を開く前に唇が柔らかいものとぶつかった。次いで、ぱちぱち、まばたき。なにが起こったのかわからなかった。それくらいに突然のことであったので。

「び、びっくりしたから」

 ますますわけがわからない。びっくりしたから、びっくり返し?研磨は口数が少ない。肝心なことをあんまり言わない。だからこそ行動が先に走ってくるときがあって、心臓に悪い。胸のあたりがばくんばくん鳴っているのがなによりの証拠。そこを鎮めるために、なるべく気付かれないように息を吸って吐いた。とても緊張します。それは、とても好きだからなのだなあと、おかしいくらい素直に思う。

「……あ、あそこ」

 私の声は可哀想なくらいに掠れていた。

「あのベンチ。あそこなら並んで座れるよね?」
「う、うん。あそこなら、うん。いいんじゃない?」
「ね。よ、よし、座ろっか」

ぜんまいで仕掛けられているブリキの人形くらいぎこちない動きで夏の夜に浮かんだベンチに座ると、なにものとも比べられないくらいに研磨との距離が近くなる。