、怖い……」
「怖くない!」

 赤くて丸い林檎の表面に包丁の刃を立てて手のひらで転がす。ゲーム機もスマートフォンも放り出して、手ぶらで私の隣に立つ研磨くんの顔色はちょっとだけ悪かった。私のせいで、血の気が引いている。慣れない手つきで林檎の皮を剥いているこの指の動きを一つ一つ監視してくるから、手元が狂いそうになる。やりにくいったらありゃしない。

「今日は私が研磨くんにアップルパイを作ってあげるって決めたから」
にアップルパイが作れるわけないよ」
「え……それひどくない…?」
「だって、作ったことある?」
「ないけど、本に書いてあるから」
「読める?」
「研磨くん、私のこと馬鹿だと思ってるでしょ」
「思ってない。でも本を読んだだけでできるとは限らないし、あ、
「ん?」
「林檎の色が変わってきてる」

 お皿の上に置いたままのときみたいに肌色を帯びていく林檎に焦らせ急かされて、包丁を使う手を速めれば「だから、危ない……」とおろおろし始める。でもやめるわけにはいかない。やる気があればなんでもできるんだもん。アップルパイの一つや二つくらい作れないで、これからどうやって生きていくのか。しゃりしゃりしゃりとすっきりとした音を立てながら赤い皮を剥がしていく。できるだけ早く。ほらもう茶色くなりかかって……あ。

「っ、痛」

 ちりっとした痛みが親指に走り、赤色の玉がぷっくりと浮かび上がる。実を言うと林檎の皮むきは初めてであったので、もちろんこんなふうに指を切るのも初めて。血液がさあっと引いていく音が聞こえた気がした。

「けけけっ研磨くん! 血、血……!」
「だから危ないって。落ち着いて、暴れないで」
「暴れてない、だって、血が」
「とりあえず包丁置いて」

 はい、と手首を掴まれたまま力を抜き、台に凶器をおさめる。すうはあと大きな呼吸を繰り返す研磨くんを真似して息を吐いて吸ってまた吐いて、何度かそれを繰り返したところで肩をそっと押され手近な椅子に座らされる。ごそごそとどこからか絆創膏を持ってきた研磨くんは、じっと黙って私の親指にくるりと巻きつける。

「やっぱり出来なかったじゃん」

 溜め息混じりに言われ、苦しいうめき声が漏れ出る。

「しゅ、修行すればなんとか」
「修行っていっても、多分ちゃんとできるようになるまでおれの心臓がもたないんだけど」
「じゃあ研磨くんの見えないところでやる」
「……もっとやめて」
「信用ない」
「でもまだ林檎も切れてないし。ていうか、なんでいきなりアップルパイ作るって言い出したの?」

 研磨くんの服を引っ張り、壁にかかっているカレンダーのところまで連れていく。今日は、十月十五日。絆創膏の貼られた親指で明日の日付を指し示す。

「研磨くんの誕生日までに、アップルパイを作りたくて」

 内緒で決行するはずが、鉄朗くんがうっかり(わざと?)ばらしてしまい、制作現場に研磨くんが居合わせる結果になってしまった。一番の問題は、林檎の皮むきの難易度が高いところにあったのだけど。こんな腕ではいつか研磨くんが風邪を引いたときに林檎うさぎで看病をすることもできない。アップルパイの次は林檎うさぎをマスターしなきゃ。

「おれとしては、誕生日にが病院送りになっている方がいやだ」
「病院送りってそんな」

 ありえなくもない未来なだけあってひやっとする。ありえると思います。どうやら私よりも手慣れているらしい研磨くんは、私よりもずっと上手な包丁遣いで林檎の皮を剥いでいく。好物だから自分でも作っているのだろうか。横で感嘆の声を上げていると額を軽く叩かれる。

「やっぱりにはアップルパイは早いよ」
「そうみたい」

 だけどせめて来年までには。料理本ももっと初心者向けのを買って、研磨くんのためのものだから研磨くんに習うのはいやだけど、一人で作るのはできそうにないし。ぶつぶつと将来について深刻に考えていると、唇に林檎の切れ端が押しつけられた。瑞々しい香りが鼻をくすぐる。研磨くんはちょっと笑っている。え、なに。

「一個だけあげる」
「あ、ありがとう?」
「他のは全部おれが食べるよ」

 もぐもぐとふやけた林檎を咀嚼している私の眼前に、切り分けられた林檎の乗ったお皿を突き付けられる。慌てて受け取り、言われた意味を解釈する。これは全部、研磨くんのもの。

「さっき、おれがにしたみたいに、食べさせて」

 え、え、と飲みこめないまま片方の手首を取られて、咄嗟に摘まみあげた林檎は研磨くんの誘導により、研磨くんの口元へ運ばれていく。ま、待って。こんな恥ずかしいこと、どこで習ってきたの。まさか鉄朗くんの入れ知恵か。

「ぜんぶやるの?」
「全部やって」

 うるさいよ心臓。