留学という名目で璃月の大きな薬舗で薬について学んでいるあいだに、セノからそう長くもない手紙が少なくない頻度で何通か届いた。その日食べたものや、目にした植物、七聖召喚のことなど、取り留めのない内容の手紙を、薬でつんとした匂いのする部屋の隅っこで読んでいた。私ひとりが離れ難く思っているのだろう、多忙なマハマトラであるセノは、セノの生活にすっぽりと嵌ってつつがなく生活していくに違いない……という認識は、彼からのこまめな手紙であっさりと打ち砕かれた。
「がガンダルヴァー村に来てくれたら僕も助かるんだけど、きっとセノは嫌がるだろうね」
セノから送られてくる手紙を心待ちにしながら過ごしたおかげで、異国での生活に大きな不安を感じることはなかった。留学を終えて予定通り璃月港から海路で帰国し、オルモス港で一泊してから立ち寄ったガンダルヴァー村で、ティナリにそう言われた。
「シティにがいて、あいつの怪我をみてくれるのも、僕にとっては助かることだからいいんだけど」
重ねるように言われた言葉をうまく理解できなくて、曖昧に首を傾げてティナリが淹れてくれた甘いお茶を飲む。なぜそんなに不思議そうな顔をするのかとティナリは指摘するが、セノは私の行き先について意見などしないだろうから、ティナリの予測は外れていると思われた。しかし、手紙の件と同様に、その認識も改められた。数日のうちにオルモス港からガンダルヴァー村を経由してスメールシティに戻ると手紙で伝えていたのだが、ガンダルヴァー村につい長居してしまったことで、滞在が十日ほど経ったころにセノが遥々やってきた。
「ほら。誰かさんは待てなかったみたいだよ」
にこやかなティナリに背中を押されたセノは、仮住まいでのんびりと寛ぐ私を見て、気まずげに顔をしかめる。手紙とやや乖離した行動をとってしまった淡い罪悪感に背筋を叩かれ、ベッドの上で姿勢を正す。セノの沈黙は充分すぎるくらい長く、やがて痺れを切らしたティナリがセノの背中をもう一度叩いた。
「どこに住むかは、の自由だ。だけど、が近くにいないのは、物足りないと思う」
この場で一番にっこりとして楽しそうなティナリが、待てなかったし、寂しかったみたいだよ、と言いながら家から出ていくので、セノは口を硬く結んで押し黙ってしまう。
それから、いくつかの問答があった。その大半が、セノの言葉の意味に関することで、あらゆる認識が誤っていることについて、確認した。つまるところ、セノは私が思っているよりも、会えなくてさみしいと思ってくれていたそうなのだ。自覚の何倍も大事にされているし、想われているらしい。むしろ勘違いされていたことに対するセノの渋い反応の方が印象的であった。
「だってセノがいつも余裕そうだったから」
「余裕など、ないんだがな」
顔色を変えずに呟いたセノが、じり、と足を歩ませて近づいてきたので、驚いて腕をつっぱらせて胸を押す。反射的に「待って」と言えば、頷いたあとに、すぐ離れていった。
○
スメールシティで借りた家にセノが入り浸るようになってしばらく経つころには、狭い空間で一緒にいるのにも、あまり緊張しなくなった。認識が盛大にずれているせいで、手に触れるのにも慣れていなかったので、大きな進歩だと思う。
ティナリが期待する通りに、セノの腕や足、脇腹についた傷の手当てをしたり、飲み薬を処方したりしている。傷を放っておくとよくないと溢し続けたのがよい効果をもたらしたのか、朝でも夜でも、怪我を作ったときはだいたい家に来てくれるようになった。いいのか悪いのか、できれば怪我をしてほしくないが、職務上しょうがないことだろう。
「今日はどこも、なんともないの?」
「ああ、平気だ」
生傷ばかり作ってくるので、じいっとセノの全身を観察する癖がついてしまった。頭のてっぺんから、爪先まで。指先と、顎の先。
「言っておくが、その下にもなにもないぞ」
「え」
私の両手が、セノの外套を脱がせている。間違い探しをする慎重さでセノを注視していたせいだ。
「ご、ごめんなさい……」
離した手が焼けるように熱くなり、そのうちに汗ばんでいく。昼間に降った小雨が暑気で蒸発して、夜道を歩いてきたセノの外套を少しだけ湿らせていた。
私の手を借りずに外套を脱いだセノは、手頃なラックにそれを掛けて身を落ち着かせる。
手当てに慣れてしまったのだろうか、なぜか、近ごろはセノがそばにいると自然と手がそちらに伸び、肌に触れてしまいそうになる。対して、セノは忠実に一定の距離を保ち、付かず離れずの関係を細く長く継続させていた。
「先にお風呂に入る?」
セノが正しい距離越しに私と接するたびに、触れたいし、触れられたいといった欲を持つ自分がやけに浅ましいものに思われて、背筋がぎゅっと縮んで、頭を抱えて眠ってしまいたくなる。
「……セノ?」
わだかまった熱を散らすため、セノの外套に手のひらを叩きつけてほこりを落とすふりをしていたが、あまりにも落ち着きがないのでやめた。浴室を勧めても、一向に動こうとしないセノにそろそろ叱られるだろうかと顎を持ち上げて見遣るも、口元に手を当てて黙っているだけである。
「どうしたの?」
「……が、待てと言ったから」
いまだ散らしきれなかった熱を持つ指が絡めとられ、小指だけきゅっと握られた。
「俺は、いくらでも待つつもりではいた。だが、おまえの方から来るなら、話は別だ」
「私、待てって言った?」
「ガンダルヴァー村で言っただろう」
「え……、え、あれのこと?」
ふた月ほど前に、セノが身体を寄せてきたのを驚きによって突き返した。森の新鮮な葉と土の匂いと共に覚えている光景が、セノの言葉を引き金にして簡単に蘇る。
反射的な「待って」を忠実に守るセノが、これまで幾度となく待つ姿勢を正し、維持し続けてきたおかげで、控えめな距離におさまっていたのだろうか。
「セノは余裕なんだと思ってた……」
「余裕じゃない。自制していただけだ」
認識のずれが積み重なってできた誤謬に、めまいがしそうになる。握られた小指を揺らしたら、逃さないかのようにすべての指を絡め取られた。ぐ、と寄せられた顔に目を瞑ると、次の瞬間には額がくっついていたし、そのときにこすれた鼻先がじんじんと疼く。
「せ、セノ……。お風呂、入らないの」
「入る。と一緒に」
この期に及んでセノを送り出そうとするが、この夜に関しては退く気がないらしい。眼前に迫る強い瞳が、ただひとつしかない私の答えを、じっと待っている。