明け方まで降り続いていた雨がやみ、昨日は一日中おやすみしていた太陽が燦々と浮かんでいる。日差しは強いけれど吹く風はつめたく、夏服から長袖のブラウスに衣替えをした。それでも身震いするほどに寒かったのだが凛月を起こしにいく時間を過ぎそうだったので、クローゼットのなかで眠っているカーディガンを捜すのを諦めて、慌てて家を出る。目と鼻の先にある凛月の家にことわりもなく侵入できるのは小学生時代からのよしみだからだ。玄関扉の脇にきれいな赤い薔薇の鉢植えがある。それをずらして、底に隠されていた鍵で玄関の施錠を解く。(ものすごく不用心なのでこんなところに家の鍵を隠すのはやめてほしいのだけれど。)

「凛月、起きて。もう学校に行く時間だよ」

 真緒が朝練などその他諸々の事情で凛月を起こしにいけないときは私が凛月のモーニングコール係に任命されている。とはいえ、私は高校からはふたりと違った場所に通っているのでこうやって凛月の家に赴く回数はぐんと減ったのだけれど、それでも月に何度かは凛月を起こしている。
 ただ、凛月は寝起きがものすごく悪い。目覚まし時計の類は「必要以上にうるさくて不快」とのことでなにかのタイミングで贈っても正しい用途で使用されたためしはなく、結局凛月はこれまでだれかの肉声によって起こされていることとなる。とんでもない箱入り息子である。

「んん、まだ眠いんだけど……。それに今日暑くない? 最悪……」

 しかも寝起きの機嫌はわりと最悪で、無理やり起こすものならベッドに引きずり込まれてひどい目に遭わされる。細身の凛月はこれでなかなか力が強いのだ。

「寒いくらいだから大丈夫だよ。だから起きてよー……。私も遅刻しちゃう」
「寒い? カーテンの隙間から入り込んでくる日差しが殺人レベルなんだけど、そういう嘘はよくないと思うよ。下手したら病気になっちゃうんだからさあ……」
「日差しは強いけど寒いの。嘘じゃないから起きてってば……、凛月の寝坊助」
「ひどい言い草だねえ。そんなに寒いなら一緒に寝ちゃおうよ」
「だ、めっ、だって! 私が真緒に叱られてもいいっていうの」
「ま〜くんはに激甘だから叱ったりしないでしょ」

 根拠のない自信にコーティングされた言葉は腑に落ちず、凛月に誘われるまま手首を引かれる。だがここで負けると凛月を無事に学校に送り届ける任務が遂行されないので、今日こそはと手首を引いて抵抗を試みた。その瞬間、すっぽ抜けた勢いのままぺたんと尻餅をついてしまう。凛月は力は強いけれど加減ができないほどではないので、この転倒は私のドジによるものだろう。
 さすがに心配そうに声をかけてくる凛月に平気だと首を振って立ち上がろうとする。異変はここにも現れて、膝をついたその先があまりにも重く、上半身がぐらりと揺れてベッドに沈んでしまう。

「……あれ?」

 かろうじて保てていた膝も崩れてお尻をぺたんと床につける。頭が重くなっているのに気がついたのはベッドに預けていた上半身を起こそうとしたときだった。鉄球を首で支えているかのような違和感に身震いが止まらず、気力を絞って顔を上げるけれど凛月のすがたは水で溶かしたみたいにぼやけて見えた。なんだろう、これは。

、もしかして熱ある?」

 おでこを触ってみるけれどよくわからない。おそらくいつもと変わらないだろう。

「熱はないけど」
「手が熱いよ。おでこも、首も」

 順番に触れられてくすぐったかったが身をよじる余裕もなく、ベッドに半身を預けたまま凛月の顔を見る。凛月の手が冷たくて、体がもっと寒くなる。

「……寒い」
「熱があるからでしょ。待って、体温計とか持ってくるから。その間ベッドで寝てて。立てる?」
「立てるよ」

 足の裏にちからを入れて立ち上がろうとするが、がくんと腰が抜けて、自らの熱で温められた床に座り込む。這うようにしてよじ登ってもよかったのだが、間髪を入れずに凛月が抱き上げてくるものだから驚いて声を上げる間もなくベッドに寝転がらされる。

「制服皺になっちゃうね。着替えよっか。ばんざいはできる?」
「……ん」

 いつのまにかボタンを外されていたブラウスが腕から抜かれる。違和感を口にする余力はもはや欠片も残っておらず、へにゃりと力をなくした手を上げて凛月の部屋着を着込んだ。厚手のスウェットは裏側が起毛であったかいはずなのに、なにを身につけても寒気しか感じない。素足を晒しているスカートも同じように脱がされて凛月のズボンをはき、あとは毛布と羽毛布団で出来上がり。
 凛月は眠気を取り払ってしまった声で「いい子で寝てるんだよ」と言って出ていった。
 ああ、凛月に着替えをさせてもらってしまった。普段は見えないあれやこれやを見られてしまっただろう。いくら幼馴染とはいえ、異性のそれを目の当たりにして凛月はどう思うだろう、なんとも思わないか、私のそれなんて、なんとも、思わない……。

、起きてる? さみしくて泣いてない?」

 凛月が戻ってくるのに少し時間がかかったので、浅く眠っていたらしい。短い夢はあまりよくない内容だったように思うが、如何せんなにも憶えていない。
 脇に差し込まれた体温計は三十八度五分をしるす。想像よりも高い体温にうげっと顔をしかめると凛月は「ほら、言ったでしょ」となんだか得意顔で部屋に持ち込んできたいい匂いのするマグカップを差し出す。

「ココア作ってきたから飲んで。蜂蜜も入れたから甘くておいしいし、あったまるよ」
「……おいしそう」
「ふふ、これはねえ、かなり自信作」

 本人が言うだけあって、凛月のお手製のココアはすごくおいしく、お腹のすみずみまで温まって寒気がぐんと押しつぶされる。

「最近は寒かったり暑かったりするから、からだが疲れちゃったんだろうねえ」
「そうなのかな……。熱があるなんて全然わかんなかったから、凛月に言われなかったら気づかずに学校に行ってたかも」
はもっと自分のことに頓着したほうがいいかもね。学校に行って風邪拗らせてもっとひどくなってたかもしれないんだよ」
「……ごめんなさい」
「ああ、いや……。べつに説教みたいなことをしたかったわけじゃないんだけど。とにかく今日はずっとここにいていいから、ゆっくり眠ってて」

 高校一年生を二回している凛月とは学年は同じだけれど、歳はひとつ違う。一年の違いは取るに足りないものかもしれないが、着替えをしてもらって温かいココアを飲ませてもらい、寝かせるための準備をすべてしてもらうと、お兄ちゃんのようだなあと思わずにはいられない。

「……じゃあ、俺は学校に行くけど、連絡くれたらすぐに戻るから」
「え!? 学校に行くの?」

 言ったそばから、私を着替えさせた倍の時間をかけて制服に着替え、薄っぺらいスクールバッグを持つ。うぬぼれだが、凛月は学校をやすんで看病をしてくれるものだと思い込んでいたのだ。

「熱があるのに起こしにきてくれたんだから、行かないとま〜くんに叱られる」
「真緒も凛月に結局甘いから叱ったりしないと思うよ」
が思ってるよりま〜くんは男の子だからねえ〜」
「ちょっとよく意味がわかんない……」
「うんうん。わからなくていいよ。できるだけ早く帰ってくるからねえ、いい子で寝てるんだよ」

 カーテンはぴっしりと閉められ、携帯電話が枕元に置かれる。額を撫でられるとまぶたがとろんと落ちて、「おやすみ」という声に誘われるまま眠りについた。
 凛月はひとつだけお兄ちゃんだけど幼馴染で、普段はだれかに起こされないと学校にすらまともに通えない。ほんとうはなんでもできちゃうくせになんにもできないように振る舞うから、まだそばにいていいんだって思えちゃうのだ。どうかもう少し、凛月が手の届かないところに行ってしまうまで、私のためだけにココアを作っていてほしい。

 夜、すっかり熱が下がり、凛月と一緒に真緒もお見舞いにきてくれた。凛月の作ってくれたおかゆを食べながら凛月に着替えをさせてもらったと真緒に報告をすると、真緒は眉間に皺を寄せるのでわけがわからずに、凛月に助けを求めると、肩をすくめられて「馬鹿だねえ」と暴言を吐かれた。なんて理不尽な。