眠る前、控えめな音で降っていたはずの雨は、真夜中を過ぎてから窓を叩くほどの強さを持ち始めたらしい。

 分厚く黒いカーテンの向こうで、大雨が降っている音がする。零さんの腕の中でゆっくりと目を開くと、部屋はまだ真っ暗な闇に包まれていた。春と夏のつなぎ目であるこの時期は天候によって気温が左右されやすく、服装も布団の分厚さもいまいち一貫できるものではない。
 足先が布団からはみ出していることに気がつき、背筋がぶるりと震える。タイミング悪く数日前に観たホラー映画の光景が思い出され、いともたやすく恐怖に支配されてしまった。ひやりとした空気から逃れるようにして布団の中に爪先を引っ込める。額を零さんの胸板に押し付けて、強く目を瞑る。ついでに繊細そうな見た目からは想像しがたいくらいごつごつとした腕に手を添えてみると、その手は意思をもって私の背中に周り、ぐっと引き寄せられて叫びそうになった。

「……っ、れ、零さん」

 危うくパニックになりそうだったが、背中を優しく何度もぽんぽんと叩かれて落ち着きを取り戻す。気配なく目を覚ますのはやめてほしい。

「まだ起きる時間には早い。眠れぬのか」
「寝てたけど、雨の音で起きちゃったんです」
「ああ、よく降っとるのう」

 重要な事柄ではないように軽い相槌を打ち、黒いまつげに縁取られた目をうっすら開いていく。眠気をたたえた赤い目が鈍く光る。

「……なにか、怖いものが来そうな気がして」

 心の裡に芽生えただけの根拠のない不安が、放っておけばおくほど膨らみ対処できない大きさに育ってしまいそうで恐ろしい。
 脅かすような発言に、零さんじゃなかったらきっと不安は伝播し時には怒られてしまいかねない。しかし、零さんは至って穏やかな雰囲気を崩さずに「そうか」と呟いただけで、動揺せずに私の背中を撫で続ける。

「……ふ」
「え、いま笑いました?」

 ひとりで起きたときのように零さんのはだけた胸に額をつけてゆっくりと呼吸していると、張り詰めた空気に低い笑い声が落ちて、ゆるやかな波紋を作った。

「笑っとらんもん」
「もんじゃないし、笑ってますよね。ほら、いまも。なんで嘘つくんですか」
「嘘などついとらん」

 くすくす笑う零さんは嘘を嘘だと認めず嘘をついたままで、私の咎める言葉を一蹴していく。ふざけているというか、戯れているというか、まるで遊んでいるかのようだ。
 零さんも、弟の凛月くんも、夜に強い。私が怖がる夜なんてこの兄弟にしてみれば笑い飛ばせてしまえるくらいのものなのだろう。それでも私にとっては恐ろしいものの一つで、絶え間なくたっぷりと降り続ける暗い雨が怖い映画の記憶とオーバーラップして、零さんにしがみついていないとこの身を保てない。

は可愛らしいのう」
「話が噛み合ってないです……」

 それに、怖がっているさまを可愛らしいと言われても素直に喜べない。不貞腐れていることの証明に背中を向けてしまおうかと思うが、ごつごつして重たい足に両足を閉じ込められているので身動きができない。それならばと、零さんの胸を押して距離をとってみるが、それは不服だったようだ。

「なんじゃ、そう離れんでもよかろう。怖いものが来ても、守ってやれぬぞ?」
「な、なんでそんなこと言うんですか……。今日はいじわるですね」
が可愛らしいからじゃ。いい加減にせぬと、朝になってしまう」
「は、朝? どういう……、痛っ!」

 よくわからないことを言ったかと思えば、首にがぶりと歯を立ててくるので過剰反応してしまう。零さんは年齢よりも大人びているし落ち着いているが、わりと自分のペースで私を好きなように扱うところがある。
 強く噛まれたわけではないけど、首がじんと痛んで熱を持つ。そこに顔を寄せてこようとするので、渾身の力で頭を押し戻す。

「いや、あの、なにするんですか」

 寝巻きのボタンを上から順番に外していく手をはたき落とす。間に合わずに三つのボタンが外されてしまったので、合わせから入り込んできた手が鎖骨のかたちをなぞっていく。硬い骨のある場所にキスをされたり肌を直接撫でられるとぞくりとする。腰がゆるくはねる。長い足で拘束まがいのことをされているのだから、私は、無防備な状態に陥ってしまっていた。

「れ、零さん。私、寝たいんですけど」
「我輩もけっこう眠い」
「ほ、ほら〜……。ねえ、寝ましょう。私に触ってないで」
「まあ、明日に響くのは喜ばしいことではないのう……」

 零さんは、ふう、と長く息を吐き、散々触れてきた鎖骨付近を隠すためにボタンをとめていく。曝け出されていた箇所がやっと布で覆われほっとする。
 二人で眠るとき、体同士を離すと零さんはわかりやすく拗ねるので、淡い痺れが残る腰を太腿にくっつけて、そっと目を閉じる。もうなにがあっても零さんの言う通りにはしないという、強い意思もある。

「……いや、じゃから……本当に」

 ぶつぶつ言う声を無視した。小言も仕返しも、雨が上がり日がさす昼間に、受け止めることにする。