凍てついた風が草木を、私の髪を、揺らしている。一定の距離を保って隣を歩く守沢先輩の横顔を盗み見て、目が合うたびに逸らす。どうした、と優しく語りかけてくれるが、真冬だというのに手袋もはめていないそのままの手は、私に触れたりしない。

 勘違いするからあんまり触ったりしちゃだめですよ、と守沢先輩に伝えたのは、今日とは真逆の暑い季節だったと思う。私は守沢先輩の彼女じゃない。だからなのか、やたらと手を繋いだり頭を撫でたりされるのが嬉しい反面、どこか辛くて、悩んだけれどそれを拒否する言葉を吐いた。

「……そうだな。の言う通りだ。これからは気をつけよう」

 守沢先輩が私に触れなくなったのは、それがきっかけだった。



「寒くないか?」
「大丈夫です。……守沢先輩は?」
「大丈夫だ。俺はいつも元気いっぱいだぞ」

 二人で出かけようと誘われたのは、数週間も前のことだ。丁寧に予約するみたいに、守沢先輩は行く場所と、待ち合わせの時間を教えてくれた。
 暑い夏の日から、何ヶ月も経っている。数ヶ月の間、守沢先輩は私の要望通り指一本触れていない。理由のわからない物足りなさは日増しに強くなっていき、スバルくんや他の人には遠慮なく抱きつく癖して、こんなに寒い日だというのに触ってくれないことが寂しいと思うようになってしまった。
 買ったばかりの手袋のなかでどうにか手が温まって、体温のかわりになるといいと思う。雪が降るのだろうか、今日は一段と寒い。街灯を照り返すアスファルトはくすんでいる。

「……やっぱり、寒いな」

 一緒に帰るときにいつもここでお別れしている。いわゆるお決まりの分かれ道に到着したところで、守沢先輩は「気をつけて帰るんだぞ」でも「また明日な」でもない、違った言葉を吐き出した。息は白く、寒さで赤くなった鼻の先は冷たそうだった。

「先輩、手袋しないから……」
「そうだなあ」
「マフラーくらいしたほうがいいですよ」
「なんだ、心配してくれるのか? は優しい良い子だな」

 冷たい空気をかき分けて、なにも纏っていない手が迷わずにこちらに伸びてくる。あ、と声が出るよりも早く、先輩の大きな手が頭のてっぺんに乗っかり、軽快な声に似つかわしくないほどの優しい動作で撫でられる。
 数ヶ月振りのことだった。
 寒いと言う割には、その手は私の髪をじわりと温められるほど熱い。頬のてっぺんの紅さは寒いだけじゃなくて、そのうちの奥底にあるもっと他の何かによって熱くなるもののせいで、そうなっているのかもしれないと思った。
 心細くなってしまうほどに寒い冬の夜に、体温を分けてもらっている。足の裏から始まり、頭のてっぺんのすみずみまで暖かくしてもらっているようだった。

「……あ、あの、守沢先輩」

 頭を撫でる手はいつまでも離れていきそうにない。いくら人気がないとはいえ、いつ誰が通るかわからない屋外ということもあり、上目で先輩を見ながら声をかけると、一瞬だけ赤みがかかった茶色の目を揺らした。

「ああ、そうだった。不用意にこういうことをしてはいけなかったな。すまない」

 気まずい空気が流れて、触れないでほしいと伝えたときと同じく、素直に私の要望を飲む先輩の手は、もう一度謝罪の言葉を口にしてからゆっくりと離れていきそうになる。それを逃すまいとして、先輩の手首をぎゅっと握りしめた。やっぱり、手袋をしている私よりも、先輩のほうが熱い。

「どうしたんだ」

 はっきりと戸惑いを含んだ声に、首を横に振る。頭から手を外して、先輩の手首を握ったままお腹のあたりに当てる。だめだと言った手前、もっと触れてほしいなんて言えなかった。だけど、そんな我慢が効かなくなるほどに、先輩に触れてほしいと思うだなんて、あの夏の日には想像すらできなかった。

「……意味があってするのなら、いいですよ」
「え?」
「だから。先輩が、私に触りたいって思って、そうしてくれるなら、いいです」

 言ってしまったと思った。後悔しても遅く、夏と秋と冬で育てた守沢先輩への好意は、いくらなんでも伝わってしまっただろう。

「あの、これは、私がそう思っていることを知ってもらえるだけで十分っていうか。あと……前に変なこと言ってすみませんでした」

 すっかりと硬直してしまった先輩は、手を繋いでいなければ、ちゃんと息をしているのか心配になってしまうほど立派に静止している。
 乾いた冬に、下手をしたら呼吸の音さえも届いてしまうのかもしれない。

「……俺は、が嫌がることはしたくないと……。そう思って、我慢してたんだ。それなのに、おまえは……。触れてほしいという意味に取るぞ」
「それでいいんです。意味が、あるのなら」

 なんにも理由がないと言われたらそれまでだと思った。だけどそれを味気ないと感じるのはなぜだろう。これまでに飽きるほど自問自答を繰り返して、思い当たる理由くらいわかっている。
 守沢先輩が、どうか少しでも私を「ただ一度助けたことがある後輩」じゃない、他のなにかにしてくれたら。

「意味……。そうだな、

 意を決したように視線を私に定め、形のいい唇を開く。

「俺の彼女になってほしい」

 私のせいで守沢先輩が硬直してしまったときのように、今は、守沢先輩のせいで私が固まってしまう。守沢先輩は私の手を優しくほどき、手袋を脱がせ、先輩のものよりも冷たい素手を握り込んだ。一瞬たりとも繋いだ目を逸らさない。おでことおでこがぶつかってしまいそうなほど近い距離で、「……だめだろうか」と問いかけられる。
 お腹の底まで深く息を吸い、先輩のおでこに自分のそれをそっとぶつける。そして、一度だけ大きくまばたきをした。

「だめじゃないです。私を、守沢先輩の彼女にしてください」

 思いの外切実な声が出て、ほとんど泣きそうな心地になる。触れられること、一緒に帰ること、二人で出かけることを、一度限りではなく、この先もずっと同じなのだと約束してくれているみたいだと気づくと同時に、遠慮などなく強く強く抱きしめられて、たまらず心臓がぶわっと動き、目頭がひどく熱くなった。