人の波に押し出されるようにして、人気のない公園にやってきた。住宅の真ん中にある古い公園は、手入れをされていないのかそこらじゅうに雑草が生えており、ブランコやベンチは砂でくすんでいる。
 夜、ひとりでこんなところにやってくることになった原因は、すべて私にある。ニキと二人でいたらニキにひどく残酷な言葉を浴びせてしまいそうで、そんなことをしたらニキは二度と私と会話をしてくれなさそうで、せっかく作ってくれた夕飯に箸をつける前に、ニキの部屋から飛び出すことしかできなかった。
 当て所なんてない。考えの浅い私はお財布をニキの部屋に忘れてきていたし、お金を払って泊まるという手段も選べない。

「……うまくいかないな」

 あれ食べたい、これ食べたいと、下手くそだけど甘えられるようになってきた。わがままではないか、迷惑ではないかと心配してなにも言えなかったころと比較したら大いな進歩だと思う。
 それと同時に、プラスの感情ではなく、マイナスな感情をぶつけそうになってしまうのだ。大なり小なり感情の振れ幅はあり、みんな他人に見せずに隠している部分が、ニキといると取り繕えなくなる。

 今日は機嫌が悪いんすか?
 ニキが美味しい夕飯を作ってくれている間、私はお皿を出していた。そう訊かれたときに、今日はいつもみたいなお喋りができていなかったことに気がつき、パニックになった。
 テーブルの上にはたくさんの美味しいご飯が並べられている。色とりどりの料理がぼやけて見える。え、と狼狽たニキの見開かれた目を直視できず、視線をそらした。そして、無我夢中で飛び出してきてしまった。

! ああもう、いきなり出ていくから反応が遅れた!」
「ニキだ」
「そうです、椎名ニキっすよ!」

 ぜえぜえと喘ぎ、眦を赤くして捲し立てる。エプロンをつけたままのニキは肩で息をしながら、古びたベンチに座っている私を見下ろし、鋭い視線を投げつけてきた。

「……お、怒っている、よね」
「怒ってるし、怒るつもりだったけど、そんな顔を見たら、怒る気は失せるなあ……」

 どんな顔をしているのかと自分の手で確かめる前に、ニキの手が頬をぺたぺたと触れてくる。よっぽど情けない顔をしているに違いない。

「……帰るっすよ」
「うん、でも」
「なんすか?」
「もうちょっとゆっくりしてから、帰る。だから、先に帰ってて」

 痛そうな表情をしているニキを見ていると、胸がぎゅっと皺を作って苦しくなった。一緒にいるときはできるだけ楽しく過ごしたいのにそんなことすら叶えられそうにない。せめて一秒でもましになるように、先に帰ってほしいと伝えてみるも、ニキは私の正面から動こうともせず、それどころか私の体を無理やり抱き上げた。

「わっ……、やだ、なにっ」

 突然全身を襲う浮遊感に驚き、ニキの首に縋り付く。グレーの柔らかい髪が腕に触れる。

「やだやだってわがまま言うなら、おうちまで運んであげた方がいいっすかねえ」
「いや、あの……」

 ぎろりと目で言い訳を制される。やっぱり、怒っている。怯んで言葉が喉奥に引き返し、息を飲み込む。私の視界がかすむと、ニキはやはり狼狽た。

「あのね、僕はがひとりで出ていった理由を知りたいんすよ。今日は元気なさそうだったし、具合が悪いならお腹に優しいメニューを……って、ええ!? やっぱり泣いちゃうんすか!?」

 ニキに縋り付いているせいで少しずつ溢れて流れる涙を自力で拭うこともできない。抱き上げられている恥ずかしさではなく、涙をどうにかしたいという理由でおろしてくれないかと訴えてみる。

「いやだ」

 ニキは強い語調で拒否を示し、唇を目の端につけてくる。なにをされたか状況を咀嚼できないでいる間に、三度同じことをされた。顔を離したときには涙は止まり、ぐずぐずになった鼻をすするだけになっていた。ニキは現状はともかく私が泣き止んだことにかなりほっとした様子で、細く息を吐き出した。こんなに優しいものを与えられているのに、本音を隠し続けていても仕方がない。

「……すごく、落ち込むことがあって」

 甘えるのと同様に、弱音を吐くのも下手くそだ。どう説明をすれば伝わるのはちっともわからない。

「うん」

 しどろもどろになっている私の声を一言一句逃さないかのごとく、丁寧に耳を傾けてくれる。そのまっすぐな姿勢と、強く抱いてくれていることが一緒になって、私の意地をゆっくりと溶かしていく。

「それで……、それでね、あんまり喋れなくて、口が重くなって……。あと、嫌なこと言ってしまうかもしれないと怖くなったから、静かにしてたの」
「いや、でも出ていかなくてもいいじゃないっすか。しかもあんなすごい勢いで。僕の心臓がぺしゃんこになったっすよ」
「ごめんなさい……」
「見つかったからよかったっすけど。心臓に悪いし、次からは、僕の目の前で落ち込んで」

 落ち込んでいるのにお腹がすいていたら余計に落ち込むから、はやく帰ってご飯を食べようという提案に黙ったまま頷きを返す。
 やっと地面におろしてもらい、そろりと目を上に向ける。ニキはもう怒ってはいなかった。元気に振る舞わなくてもいいという許しも出た。まだ不安は拭えず、弱音は渦巻いている。だけど、ニキはそれでも目の前にいてもいいと言う。
 ニキは黙りこくっている私の指をすくい、ぎゅっと絡めて手を繋ぐ。湿った土を踏みしめ、脛をくすぐる雑草を踏み倒し、公園を出る。抱き上げてくれた腕の強さと目尻に触れた唇の感触は、家路についたあとも、きっと忘れないだろう。