春が近いというのにひらひらと落ちてきた雪が地面にぶつかる前にすうっと消えた。数年前の真緒の誕生日はとても寒くて、もう着なくて済むだろうとしまいこんだコートを母親が引っ張り出してくれたのを覚えている。私に厚着をさせながら、今日は真緒くんのお誕生日ね、と言った母親からはホットケーキのいいにおいがしていた。寒い日は、暖かくしてもらえるから大好きだった。
コートのポケットに入れたキャラメルの箱が駆けるたびにかたかたと鳴る。小学一年生の子どもが幼馴染にあげられるプレゼントは限られていて、一週間前に買ってもらって食べずに我慢していたそれをプレゼントにするのがそのときの私にできる一番のものだったので、うきうきと得意になりながら真緒の家を訪れたのである。まさかキャラメルの箱を受け取った真緒にぼろぼろと泣かれるとは思わなかったし、真緒の涙を見たらものすごくびっくりして私のほうがもっと泣いてしまい、先に泣き止んだ真緒に慰められるまで、真緒は真緒の誕生日に焼きたてのホットケーキを食べなかったなんて想像もしなかった。
「真緒……。久しぶりに泣き虫だね」
ぽろぽろと涙を流す真緒は今しがた私が手渡したミモザの花束を持って俯いている。細かな黄色い花に透明なしずくがいくつも吸い込まれていく。甘そうだなあ、とぼんやりと思う。
「お花、嫌だった?」
去年の誕生日に「来年はなにが欲しい?」と聞いたら冗談まじりに「花束をもらってみたい」と言われたから、花屋に何度も足を運んで一番春らしい思う花を選んだ。明るい色のかわいい花は、冬と春の切り替えの季節が寒くならないように部屋を飾ってくれるはずだ。
明るい心持ちにしてくれるはずの花には真緒の涙が落ちるばかりで、季節やお祝いといった言葉から遠ざかってしまっている。
「……嫌じゃない」
「じゃあなんで……。あ、花粉症がつらくなっちゃった?」
「そうじゃない。べつに、嫌なことはなにもないんだ。こんなことになっちまって、ごめんな」
へらりと笑いはしても、目からはいまだに涙が流れ続けているし、鼻のてっぺんが赤い。真緒のベッドの上に置かれていたタオルで顔をごしごしと拭いてあげると目をつむってされるがままになってくれたので、ついでに頭を撫でた。お風呂に入ってからどれだけも経っていないのか、真緒の赤い髪は少しだけしっとりとしており、手のひらにぴたっとくっついく。
中学生に入るまで、真緒はわりと泣き虫で、怖いものがたくさんあったようだった。おうちには小さい妹がいたから放っておかれることも少なくなく、夕ご飯の直前まで一緒に過ごす時間が自然と増えていったから、だんだんと真緒と居るのがあたりまえになっていた。高校生のいまとなっては真緒が私の手を引っ張ってくれているけれど、幼い時期は逆だった。
「いいよ。真緒はあんまり泣かなくなっちゃったから、もっと甘えてほしいってずっと思ったんだよ。膝枕とかする?」
「いや……いい、凛月んちにケーキ食いに行きたいし」
頰を赤くさせながら目をそらすのは照れ隠しか、もう夜も更けてしまったことだし早くケーキを食べにいかなければ。
真緒の涙が止まってしまったことがちょっとだけ残念に思いながらも立ち上がる。黄色い花束を持ったままの真緒は私に手のひらを向けて「ん」と短く要求をする。頰がゆるむのを感じながらその手を握り、どうにかしてキスくらいはできないだろうかと湿った頰を見るけれど、唇をくっつける隙が見当たらず、不満は募るばかり。
「……じゃあ、凛月のケーキを食べたら、私が真緒に膝枕する」
キスすらできないんだから、膝枕くらいさせてもらうべきだ。
「珍しくこだわるなあ」
鼻を啜った真緒は花束に鼻を近づけて匂いを嗅いでいるようだった。花粉症がひどくならなければいいのだけれど。
「だって泣かせちゃったし……。真緒のためになんでもしたいの」
「いいんだって。ていうか、恥ずかしいからあんまり言うなよ。悲しかったんじゃないんだからさ」
「悲しかったんじゃなかったら、嬉し涙なの?」
「どうだろうなあ……。が、去年俺が言ったことを覚えててくれたのは、びっくりしたけど」
「そんなの、来年もずっとだよ」
「……そっか。じゃあ、来年の予約もしておかないとなあ」
生まれてはじめて真緒に誕生日プレゼントをあげて、泣かれてしまったときのように、私の目からは涙は出なかったけど、そのときよりもずっと胸がぎゅっと縮こまる。来年も真緒に誕生日プレゼントをあげるのがあたりまえにできるような、一年後の遠い予定が待ち遠しく思う。
ミモザの花束を見つめる真緒の横顔はもう泣いてなんかおらず、やわらかく、やさしく、ゆるめられている。来年を待たずとも、明日にだって、なんでもあげたい。朝ごはんに食べるふかふかのパンケーキも、寒い日に着せてあげる厚手の洋服も、キャラメルの箱も、春のためにつくられた花束も、なにもかもを。