「学校に来ないの」と言ったら、「関係ねえだろ」と言われた。
「ちゃんとご飯食べてる?」と尋ねたら、「うるせえ」と睨まれた。
そういう日々を繰り返して、お互い高校生になる頃に、とうとう口をきかなくなった。自然と、顔を合わせることもなくなった。
一ヶ月前、久しぶりに出くわした。お互い高校三年生になっているのだ。当然、身長が伸びている。髪型も変わっていた。そして、記憶よりも柔らかい表情で、「次のライブに来てくれねえか」と、言われた。だから、私は「いっ、行きたくない」と答え、その場から走って逃げた。
「っ、なんで逃げるんだよ」
今日も、最寄駅の改札に紅郎くんが立っていた。私はまた紅郎くんから逃げた。しかし、追いつかれた。
紅郎くんから逃亡していた一ヶ月間、週に一度のペースで家の前や、駅、そこらへんの道端で遭遇している。ただの偶然ではなく、わざと、私に会いにきているのではないかと疑ってしまう。
「なんでって……あのね、紅郎くん。何回も言うけど、私は紅郎くんのライブには行かないよ」
紅郎くんの用件は、私をライブに誘うこと。ただ、それだけ。久しぶりに言葉を交わすのだから雑談くらいしないのかと思うが、そういった一般的な話題が提供されることはなかった。
慣れ親しんだ道を二人で歩く。紅郎くんの家の近くはあまり治安がよくないということで、必ず決まった交差点でお別れをする。しつこく、ライブのチケットを押し付けたりなんかしない。「行かない」と言えば、「そうか」と呟くだけで、あっさりしている。どれほど本気なのか、紅郎くんの態度からは読み取れない。
「それは、わかった。でも、どうせ逃げきれねえんだから、いちいち走んな。危ねえだろ」
「絶対やだ。紅郎くんは私の話を聞いてくれなかったのに、私ばっかり紅郎くんの言いつけを守るのは不公平だよ」
「それは……悪かった」
「……悪かったって、なにが? 中学生のとき、いっぱい無視して、睨んだこと?」
「何もかもだよ」
怖い顔で叱られ続けた日々は、過言でもなんでもなく、私の心の深い傷を残した。紅郎くんがくれる綺麗なライブのチケットでなしになるとは到底思えない。
「謝らないで。そんな簡単なことじゃないから。悪かったって言われただけで、いいよ、って思えない。だから……、紅郎くん、もうなにも言わなくていいよ」
紅郎くんの大きな体はとうとうしゅんと萎れてしまったように見えた。口を引き結び、黙りこくる。
拒絶され続ける痛みを知っている。現在進行形で私こそが紅郎くんの心に深いものを彫りつけているのだということも、わかっている。こんなのはばかばかしいし、誰にとってもいいことがない。
「……謝らなくていいから、それ……チケットちょうだい」
ライブに行くかどうかは別として、チケットをもらうくらいはいいだろう。そう思って、チケットをもらうために手を差し出す。紅郎くんは目を剥いて自分の手の中にあるチケットを見た。
「あぁ? これ……、いらねえんじゃねえのか」
「だって、それをもらわないと、紅郎くん明日も私を待たないといけなくなるんでしょ」
学校と、アイドルのお仕事と、おうちのことをこなしている紅郎くんに、私と同じくらいの自由時間があるとは思えない。貴重な時間のすべてを私のために使わせてしまうのは申し訳ない。
手のひらにはなかなかチケットがやってこない。紅郎くんは形のいい眉の間に皺を刻み、喉奥で唸って、やがて首を横に振った。
「受け取らなくていい。お前が本当に来てもいいって思えるようになるまで、会いにいく」
紅郎くんがくれた返答は本当に切実そうで、簡単に秋の夜に解けていってしまう。
「いつになるかわからないよ」
「いいんだよ。他に、会いに行く理由見つからねえし」
「……なに、それ。紅郎くん、なんでそんなに不器用なの?」
幼なじみをしていたころは二人きりになるのも、とりとめのない会話をするのも、すべてが滑らかに行われていたのに、会わない間に紅郎くんはすっかりと不器用に変化を遂げた。
「茶化すな。何年も会ってねえんだ。どうやって話をしたらいいのか、まだわからねえんだよ」
拗ねた声で言う。それは私も一緒だよ、と心の中で対抗する。紅郎くんがどんなふうに私と接していいのか迷いながら会いにくるものだから、私も紅郎くんにどんな言葉をかけるべきなのか迷いが生まれる。そして、その迷いはこれからしばらく続く。数日かもしれないし、数年かかるかもしれない。不安定な現実をつなぎとめるのが紅郎くんのチケットだというのなら、やはり紅郎くんの言う通り今は受け取らない方がいいのだろう。
「ねえ紅郎くん、やっぱり何回も会いにこなくていいよ。申し訳ないし、だから」
ポケットをまさぐり、お目当てのものを掴んで引っ張り出す。
「……私と、連絡先を交換しませんか」
スマートフォンを突きつけて上目で紅郎くんを見つめる。チケットのように薄くて大事なものを貰う資格はないが、一応幼なじみだしこれくらいは許されたい。
「……いいのか?」
「いいっていうか、紅郎くんが嫌じゃなければ」
「嫌なわけあるかよ」
「……うん」
「後悔すんなよ」
丁寧に確かめてから、恐々とスマートフォンを近づけてくる。今日は家に帰ったらメッセージを送ろうか。会いに来るかわりに、電話でライブのお誘いをしてくれるのだろうか。想像にちょっとだけわくわくしている自分に気付いて、気恥ずかしかった。
だからたぶん、今はこれくらいの距離感がちょうどいい。