小さな荷物だけを持って背の高い建物がひしめき合う大きな街にやってきた。そこはおそろしく汚くて灰色のどんよりとした空気がわだかまっているのだろうと想像していたが、住んでみればそんなことはなかった。空も海も青く抜けており、道は清潔で、生活は案外悪くない。
それでも故郷から遠く離れているというどうしようもない事実に、ときどきはホームシックになってしまう。
君主さまを連れ戻すために里を出ていった一彩くんのあとを追うようにして衝動的にやってきた大きな街には、楽しいことと怖いことと辛いことがたくさん詰まっていた。結果的に楽しいことがたくさんあったとしても、一日ただ普通に生きるだけで頭に飛び込んでくる情報量が多く胸がいっぱいになる。その都度吐き出さないままにしていると、頭も体も重たく動きづらくなり、部屋に閉じこもってしまう。
最初に巣篭もりをしたとき、頭から布団をかぶってベッドの上でじっと蹲っている私の姿を見や一彩くんはひどくぎょっとしたようだった。しかし、何度か繰り返しているうちに一彩くんは私の扱いをすんなりと学習したようで、私の機嫌がよくなる食べ物たちをお供えもののように与えてくれるようになった。
「はまた落ち込んでいるみたいだね」
「……落ち込んでいるとかじゃないけど」
一人暮らしをしているアパートに遠慮なくあがりこんできた一彩くんが、すっかり行き慣れたコンビニエンスストアというお店で買ったらしいシュークリームを差し出してくる。頭から布団をかぶったまま、朗らかに笑う一彩くんを恨めしげに見上げてそれを受け取った。
「学校の人たちにおすすめされたものを買ってきたんだ。これは甘くて美味しいらしいから、もきっと気に入ると思うよ」
「……うん、ありがとう。都会の食べ物はおいしいし、好きだよ」
シュークリームもプリンも初めて食べたときはこってりとした甘さにびっくりしたが、すぐに慣れた。それと同じように、人が多い道にも、学校という場所にも慣れたと思っていたのに、私は不定期にエネルギーをなくしてしまい、部屋に閉じこもってしまう。
「がそう思ってくれるなら、僕も嬉しいよ」
一彩くんは私よりもずっと上手に暮らしているように見える。一彩くんのように、私にもいろいろなものを上手く吸収できたら、いちいち塞ぎ込んで一彩くんに迷惑をかけたりしないだろう。
「でも、こんなところに来ない方がよかったって思うことがたまにあるの」
布団の中で体をぎゅっと小さくさせる。きょとんとした顔の一彩くんはベッドのそばに腰を下ろす。青く透き通った双眸が静かに私を見据えた。
「……それは、困るよ」
一彩くんは低い声でそう言って、私の頭に被さっている布団をベッドの上に落とす。くしゃくしゃになっているであろう髪を直す気力もない。薄いパジャマだって、身を守るには心許ないものだった。今の私には、されるがままになる以外の選択肢はない。
「もしが故郷に帰ってしまったら、僕がこうしてシュークリームを買い与えてあげることもできなくなる」
手に持ったままにしていたシュークリームが一旦一彩くんの手にうつり、封が切られる。ほら、と再度差し出される甘くてしっとりとしたお菓子を抵抗なく受け取る。
「……一彩くんは私の餌付けをしたいの?」
「そうじゃないけれど、お嫁さんのお世話はちゃんとしないといけないからね」
「え……? お、およめさん?」
カスタードクリームと生クリームが詰まった柔らかい皮を噛むと同時に、一彩くんが爆弾を落としたものだから瞬間的に甘さを忘れてしまう。
大きくなったら一彩くんのお嫁さんになる。その言葉を何度も何度も口にして、一彩くんのあとを一生懸命ついていった記憶は、十年以上前から連綿としているものだ。
ただの幼いころの戯れ言だとしても、一彩くんの記憶に刻み込まれているのだとしたら、今更過去に遡って修正できるはずもない。あらゆる抵抗は無意味だ。冷えっぱなしの体はようやく熱を取り戻した。
「は僕のお嫁さんになるんだろう。できるだけ寂しくならないようにちゃんとお世話をするから、まだ帰らないでほしいよ」
一彩くんは柔らかく微笑む。私の口の端についたクリームを見つけると、自分の口を遊ぶように寄せてきて、舌の先でそれを舐めとった。