どこからか切り取って無理やり貼り付けたような視覚的な違和感をもって、彼女は俺の目の前に現れた。
日除けも、夜のための耐寒装備も、携行食も野営の道具もなにも持たず、街中を平和に歩くことくらいしか出来なそうな格好をしていたため、不審に思い身元についてややきつい口調で詰問したら泣かれてしまったのでひどく焦った。それだけではなく、みるみるうちに呼吸が浅くなっていき、気絶までさせてしまう始末である。
気を失ったを目と鼻の先にあるオアシスまで運び、濡れた布を額に当てたら、数十分後に目をさました。今度は泣かせぬよう、つとめて落ち着いた口調で再度質問を投げる。終始恐れを孕んだ目を向けてくるから苦労して住んでいる場所や身分について聞き取り、そこでようやく、彼女がなぜあれほどまでに取り乱したのかを知った。
つまり、にとってはスメールどころかテイワットは丸っ切りの異文化、いや、異世界なのである。彼女は、わけもわからないまま意図せぬかたちで一人で砂漠の真ん中に放り出されるといった災難に遭ったといっても過言ではない。
「どうするのが一番いいとか、どこに行くべきとか、全然わからなくて、ひとりじゃなんにも決められない……。迷惑ばかりかけてしまって、ごめんなさい」
いつまでも砂漠の真ん中で座り込んでいるわけにもいかないと、未だ情緒が乱れた様子のを連れて宿泊したアアル村での夜のことだった。申し訳なさそうに謝るその姿が痛々しい。せめて名を呼んだらこの場に縫いとめられるだろうかと、何度か繰り返したら気恥ずかしそうにされた。その反応がもたらす新鮮な感覚が胸のうちにじわじわと差し込んでくるのを、確かに感じ取った。
もしも、あそこでを見つけたのが俺ではなく、賊の類や魔物であったら、の命はすでになかったかもしれない。それほどまでには歩くのが下手だ。もとの世界では舗装された道を歩くのが『普通』だったようなので、砂漠を歩くのは苦労するようである。……一定年齢までの教育が義務化されていて、平に舗装された道が多く、仕立てのよい服が比較的手に入りやすいところから察するに、文化水準が高い国からやってきたのだろう。
「砂漠を抜ける最中は、俺の言うことに従って動いてほしい」
不安げな瞳をしながらも迷いなく頷く。俺ではない誰かがを見つけていたとしたら、はその者の言うことも素直に聞いていたのだろうか。
常よりも何倍もの時間をかけて進んだが、キャラバン宿駅はまだ遠い。日が落ち、砂嵐も出てきたため比較的安全な場所で夜営をすることにした。が手伝いを申し出るのを断り、座って体を休めるようにと勧める。
「……食事を摂っておいた方がいい」
アアル村でもあまり食事を摂っていなかったように記憶している。携行食と酒で漬けたザイトゥン桃を同時に並べると、迷った指先が桃を選びとる。勝手がわからないなりにちまちまと食べる姿を見守っていると、「セノ、怪我は大丈夫?」と控えめな声量で訊ねてくる。夜は獰猛な野生動物に気づかれるのを防ぐために大きな声を出さないようにと忠告をした成果が、すんなりとあらわれている。
「大したことはない。直に塞がる」
アアル村でキャンディスに譲ってもらった衣服を身に纏っているからか、を縁取る違和感は緩和されたものの、やはり目立っている。特別な力を持たず、戦うこともできないのに、人の目に留まりやすいのは致命的な弱点だ。ここまでの旅路で、二度ほど襲撃を受けた。そのたびに決まってにその場から動くなと命じ、武器を手に撃退する。困難な手合いではない。楽なものであったが、普段は気にも留めない擦り傷を心配されて戸惑う。
気にするなと重ねて伝え、を寝床に押し込んだ。
「眠れなくても目を瞑っているんだ」
硬い地面に薄い布を敷いただけの野外で眠るのも初めてだろうが、はぎこちなく頷いて、俺の言う通りに、目を強く瞑る。眠っているのかいないのか、のそばに腰をおろして周囲を見張っている最中に、うなされている声を何度か聞いた。血の気がひきっぱなしの顔を見下ろしてみれば、眉間にしわが寄り、まつげに涙が絡みついていた。
指を伸ばして目元をなぞる。指の腹に絡みついたぬるい雫は紛れもなくの心情を象徴するものであり、それはなぜか、数日間は忘れられない感触だった。
「疲労と緊張だろうね。一晩休めばよくなると思うよ」
キャラバン宿駅の宿にチェックインすると、算段どおりのタイミングのよさでティナリが部屋を訪れ、高熱を出して寝込んだの診察をした。予想と違わない結果に「そうか」と呟く。昨日も一昨日もあまり眠っていないようだったから、寝台に体を預け深く眠るを見てようやく胸を撫で下ろした。彼女の体を支配する肉体の疲れはきっと取れるだろう。
オーナーから購入した珈琲の載った盆を持ち、受付の脇に鎮座している椅子に腰掛ける。
「お酒じゃないんだ」
「ああ、緊急事態に備えなければならないからな」
「ふうん?」
一応は、人の身を預かっている最中である。いざという事態に直面した際にアルコールに判断を鈍らせられたらたまらない。
ガンダルヴァー村からはるばるキャラバン宿駅まで足を伸ばしたのだ、酒を飲みたかったのかもしれないと思ったがそうではないようで、ティナリは陶磁器の杯に口をつけ、ところで、と口を切る。
「あの子が元気になったらどうするの」
「そうだな……。まずはスメールシティに連れていって、住居を確保するつもりだ」
「え?」
「なんだ」
「セノがあの子を連れていくの?」
「なにか問題でもあったか?」
喉を苦い液体が滑り落ちていく。まったく異なる文化を持つ人間を理解するのは難しい。珈琲はの世界にもあるのだろうか……の生活の基盤を作る上で、知らなければならないことや知りたいことは山ほどある。
「問題はないけど、ちょっと驚いただけ。ガンダルヴァー村にも空いている部屋はあるよって、君に言おうかと思っていたところだから」
をガンダルヴァー村に預けるという選択肢は、脳裏に過りはしたが取り下げたものであったから、ティナリの方から「を預かる」という提案を受けて目を見開く。すると、おもしろい顔、と揶揄われる。
「……は歩くのが下手だから、アビディアの森を移動するのにも苦労する」
「足が二本ついてるんだからそのうち慣れるだろ……、冗談だよ。取らない、取らない」
今度こそからからと笑うティナリに、どんな顔をしていたのかと訊ねても結局教えてもらえなかった。
露天でいくつかの食糧を買い込み、宿の部屋に戻る。ティナリが聞き取ったところによると、はスメールの料理の匂いに慣れないから食が進まないとのことであったので、比較的進んで食べていた果物を選ぶ。別室に部屋をとっているティナリと別れて戻る。
「あ、セノ……」
扉を開いたすぐ先にいたは、驚きに丸く開いた目をやわく弛ませる。濃い色をした瞳の奥には、俺がいた。窓からは橙色の夕陽が差し込み、頬に湿ったまつげの影を投げている。
「起きたのか。体調はどうだ」
額にかかった髪を掻き上げて、手のひらをぺたりとくっつけて熱を測る。まだ少し熱いが、昼間ほどではない。たっぷり眠っていたからか顔色の悪さも軽減されているように見える。「大丈夫」と言う声には確かにいくらか芯が通っている。
いつまでも薄着で立ったままいると体調に障るかもしれないと、寝台に座らせて上着を羽織らせた。
「ティナリと少し話してきた。つまり、の今後についてなんだが……」
「私の、今後?」
の顔に緊張が走り、申し訳なさと、素直な反応を向けられる新鮮さが混ぜこぜになる。
「このままスメールシティに行く予定だったが、他にも……、例えば、お前の体調を診たティナリの住む村で暮らすという選択肢もある。どちらにせよ、安全は保証する」
わからないから決められないと、かすれた声で打ち明けたに対して酷い提案をしているのかもしれないが、自由意志を潰してしまうのはいかがなものだろうか。案の定、は突如として出現した二つ目の行先に戸惑いをみせる。
ガンダルヴァー村やスメールシティの地形や気温、家屋のかたち、特産物、郷土料理について、想像しやすいかたちで異文化が伝わるよう噛み砕いた言葉で話をする。押し黙ったままのは、隣でどんどん表情を固くしていく。
「すまない、悩ませてしまった。疲れが残っているだろう……今日はもう休もうか」
腰を浮かせたところで「待って」と声をあげたの頬は熱の名残りかほんのり紅い。
拾った命に責任を持つなど、聞こえの良い理由だけではない。今日みたいに、ティナリと話したとき、の近くにいるとき……多くの事柄を積み重ねるごとに、明確になっていくのかもしれない。
「さっき、セノがいなくなってしまったのかなって思ったの。でも、戻ってきてくれたから、本当によかった……」
かすかに震える指先が手の甲をかすめた。まだ淡く熱を孕んだ薄い皮膚だ。その手を握りしめたら存外小さいと思った。「……だから、その、お世話になります。よろしくお願いします」と自信なさげに告げられる言葉の、音のひとつひとつが、鮮明に色づき、鼓膜のそばで響いている。