スメールシティで生活を始めて半年以上経つのだなあと、毎日履いているせいでくたびれてきた靴に足を押し込みながら思う。砂漠とは違ってスメールシティはそこそこ舗装されており歩きやすく、あんなに歩くのが下手だったのに、人間は慣れる生き物のようで、シティの中であれば問題なく歩き回れるようになった。
ランバド酒場は、私が生活する家の真逆である南側に位置する。天井からぶら下がる灯りよりも、黄色と蒼色のステンドグラスに濾過された淡いひかりと、肉を焼く器具の炎の方が、店内をほどよく明るくさせている。
夕食をご馳走させてほしい、との申し出に、セノは予想通り、そんなことはしなくて良い、と断りを述べた。ひとりで生活のすべてを上手にこなせているとは露ほども思わないし、セノやティナリの助けがなくては、いまの私は命すらなかっただろう。だから、いくら必要ないと言われようとも、お返礼は何度でもしていいはずなのだ。
「……ランバドフィッシュロールが食べてみたくて」
ときどきセノが振る舞ってくれるスメール料理のおかげで、こちらの味付けにもそこそこ慣れてきたから、魚肉で薔薇を巻き上げた焼き料理というものに興味がそそられたのだと白状する。さらに、酒場という場所にも行ってみたい、という単純な好奇心も付随している。
「そういうことか。それなら、一緒に行った方がいいな」
「うん、行こう行こう」
「だが、が働いて得た金は、のために使ってほしい。俺に気を使わなくていい」
まるで歳上のような物言いである。ランバド酒場に到着して席につくと、セノがおすすめの料理と飲み物、お酒について簡単に説明してくれた。
「えっ。セノってお酒が飲めるの?」
「ああ、飲めるが……。それがどうかしたか?」
落ち着いた雰囲気と、セノよりも大人であると思われる人たちから敬意を払われている様子から、職位の高さが伺われる。しかし、それらを取り払って見目のみから判断すると、歳はそう離れていないと思っていた。今更だが年齢を尋ねたら、私の実年齢よりも上であった。
「やはりここの会計は俺が持つ。俺の方がよりも歳上だからな」
シティを見回ればきれいな服やかわいらしい小物はあるが、ものを買う習慣がなく、増やすのも憚られ、いつか、ひとりで家を借りて生きていかなければならない日が来るかもしれないと、お金を使う機会はほとんどなかった。有り体にいえば、お金はそこそこ貯まっている。メニュー表を見る限り、酒場での支払いで生活が苦しくはならないだろうが、歳上の精神が発揮されたセノは頑なに勘定を譲ろうとしない。実年齢を明かしたのは失敗だったかもしれない。
「歳上のセノさん。お酒を頼まなくてよかったの?」
ふ、と笑ったセノは、「今日はお前といるから」との理由をつけて、お酒ではなくお茶を選んだ。セノが前後不覚になるほど酔っぱらう姿は想像し難いが、実はひどい酔い方でもするのだろうか……。もしも酔っぱらったとしても、肩を貸すくらいはするのだから、気にしなくても良いのに。
ランバドフィッシュロールという料理は、本当にスメールローズの紫が魚肉に包まれており、香ばしい魚と花の香りが妙に合っていた。ナイフとフォークを駆使してそこそこ苦労して切り分けて食べる。塩気のある魚が粘膜を刺激しつつも、鼻腔を華やかな薔薇の香りが通り抜けていく。
「どうだ?」
「お花と魚の味……? うん、美味しいよ」
もぐもぐと咀嚼を繰り返し、切り分け、また口を開く。セノが真面目な顔をしてじっと眺めてくるのでおかしくなる。その一端を担っているのは、ザイトゥン桃しかろくに喉を通らなかった頃の私のせいなので、見ないでほしいとは言いづらかった。ティナリに栄養面で叱られるまで偏った食生活を送っていたにしては、大成長といって差し支えないだろうと思う。
ランバド酒場のオーナーであるランバドさんは、私の雇い主である喫茶店の寡黙な男性とは対照的な、豪快かつ社交的な人物であった。スメール教令院の大マハマトラという、私の故郷には存在しなかった肩書きが、この国のどこまで影響を及ぼしてあるのか乏しい知識では想像すらできない。それでも、セノが目立つ存在であることは、酒場までの道中にちらちらと投げられる視線で察するに易い。いつか、セノやティナリに「不思議な雰囲気を纏っているから、目立っている」と評された私の在り方もあるのかもしれない。……この世界にとって余所者の私は、良くも悪くも、目立っているらしい。
とにかく、セノによるものか、私によるものか、他に客は何組でもあるというのに、酒場の隅で慎ましく食事をしている私たちのもとに近づいてきたオーナーは、自身の冒険譚と、旅路にて知り得た料理について満足がいくまで語り、こちらがうんうん頷いて聞いているさまを見ているのか見ていないのか判断がつかないまま、カウンターに戻っていった。
まるで嵐のようだと、残りのランバドフィッシュロールを食べながら、セノに「稲妻は私がもといたところと少し似ているみたい」となにげなくこぼすと、「稲妻に行ってみたいのか?」と、硬い声で質問された。料理に向けていた注意深い視線を持ち上げると、セノは私がスメール料理に挑戦しているときよりも真面目で切実な顔をして、こちらを見ていた。
「……でも、稲妻にはセノがいないでしょ」
セノが醸す真摯さにあてられて、私の背筋もぴんと伸びている。
似ているといっても、非なるものだろう。刀と武士の国……私が知っている日本は、それよりもさらに、またさらに、先進している。以前より口にしている稲妻料理は食べやすくて魅力があるし、スメールでは調味料を含め手に入りにくいので、それらが日常に溢れているというなら、気にはなるが、気になるという段階で留まってしまう。
「だから、ここでよかったんだと思う。うん、よかった。着物も自分で着付けられないし……」
素直に告げれば、セノは表情をやわらげて「稲妻には、確かに俺はいないな」と同意を示し、満足げに頷いたのだった。