ティナリへの手紙に、買い物に付き合ってくれたお礼と、無事セノに贈り物を渡せた報告と、迷って迷って、追伸としてオイルからティナリの匂いがすると言われたことを書いた。常よりも速く届いた返事に、あのオイルは匂いが控えめだからそれなりに近づかないと香りに気づけないはずだという旨が書き添えられていて、私の髪を持つセノの指が不意に頬にあたったときの温度をありありと思い出し、時間が経っても脳に焼きついて離れず、出どころが不明の熱に耳が火照っていくのを自覚した。

 しかし、スメールでの生活を思い返すと、泣いたところも見せたし、抱えられたり、おぶられたりもした。熱を出してぐちゃぐちゃになった髪や顔も見せたので、近い距離で時間をかけて髪を見つめられたことなど、些末な羞恥に過ぎない。取るに足らないこと。そう言い聞かせ帰り道をゆっくりと歩いていると、セノに逢った。陽が傾く前の訪問は珍しく、数分前まで感じていた恥ずかしさを忘れてやたらと浮き足立ち、「夕食を作る」と買って出て、だけどセノの方が「今日は俺が作る」と言い張ったので、近所の食料店で買い出しをしてから帰ることになった。

 恥ずかしながら、セノの支えなしにふたりで並んで歩くのはほとんど初めてだった。舗装されていない道の歩きにくさを含め、怪我をこさえたのもあり、セノの助けなしでは砂漠や崖や森を抜けられなかっただろう。
 慣れた道をふたりで歩いていると、教令院の制服を着た学生らしき人物がセノの姿を認めるなりぎょっとした表情を顔に乗せてそそくさと横を通り抜けていった。その不自然な挙動に、セノに視線を送ると、多くの学者にとって大マハマトラとはそういうものなのだと説明される。

「悪いことはしてないのに警察官を目の前にすると緊張する感じかな……」

 なにせ教令院に無縁なものだから、経験を換算して呟くと、生まれ育った環境がまるで違うセノにはうまく意味が伝わらなかったのか、不思議そうな顔をされてしまった。


 働いている喫茶店は飲み物の種類は多いが、食べ物はそれほど豊富に揃えておらず、もちろんタフチーンはメニューにない。近ごろはほとんど毎日のように好みの料理を自炊をしているので、未知なる料理は今まで口にしたことはなかった。今よりもさらに右も左もわからなかったころ、スメール料理特有の香辛料に惨敗したため、セノは私が好むお菓子のみを手土産にするようになったのだ。かくして、デザートを除くと、稲妻やモンドという国の食べ物を選んで胃におさめ、空腹を埋めるに至ったのである。


「味見をしてくれないか」
「え」
「香辛料の量が適しているかどうか、確認したい」

 ソファに座ったまま包丁やフライパンを慣れたように使うセノの調理風景の観察に徹していると、名前を呼ばれ、味見係に任命された。以前、香辛料の匂いが独特だとティナリを経由して伝えたのを未だに覚えてくれていたらしい。セノの声に引き寄せられるようにして小さなキッチンスペースに近づき、生身の火がくるぶしのあたりを温めるのを感じながら、差し出されたスプーンを手に取ろうとしたが直接口元へと運ばれて、味をじっくり読み取るまでもなく咀嚼もほどほどに飲み込んだ。

「平気か?」

 ひどく具合が悪かった時分でさえ、自力で食事を摂っていた。先日、髪を撫でられたときと同じく、なんでもないときにスプーンから食事させてもらうという事態が、数刻前に抱いていた羞恥の頭をもたげさせる。ふらふらとする首をどうにか縦に振って返事をして、炒めたお米から染み出したカレーとヨーグルトの不思議な風味を反芻する。

 食わず嫌いをしていた私に専ら甘いお菓子を与えるのみだったというのに、なぜスメールの料理を振る舞おうと思ったのだろうかと尋ねると、「おまえが、少しでもスメールの料理にも慣れてくれたらいいと思ったんだ」と、お皿に几帳面な盛り付けをしながら視線をそらさずに言い放った。
 ええっと……と、言葉を探すがろくなものを見つけられず、言葉にならない息をいくつか吐き出してから、口を開いた。

「……他のも、セノが教えてくれる?」
「人に振る舞った経験はあまりないが、それでもいいのか」
「うん。セノの好きなものがいいの」
「……物好きだな」

 撤回するべきだったかもしれない発言をなかったことにするのは忍びなくて、かちゃかちゃと音を立てながらお茶を淹れる準備に取りかかっていると、セノの褐色の指先が手の甲に添えられ、いいよ、と数分遅れの返事を寄越す。髪に触れたときと同じ熱を持つ指の少しかたい皮膚の感触が、やはり今日も私の体温を上げていくのを、原理もわからないまま、間違いなく実感した。