十日ほど前にガンダルヴァー村に訪れた教令院の学生によると、大マハマトラに恋人らしき異性が存在するという噂が囁かれているとのことで、僕は思わず手にしていたペンを落としかけ、学生は鬼気迫る様子で事実か否かを求めてーー真偽を本人に確認することを投げやりに推奨して、その話を打ち切った。
「そうか、学生というのは存外暇なものなんだな」
くだんの学生はセノに事実確認をしていないだろうが、教令院の噂くらいは彼の耳にも入っているらしく、ガンダルヴァー村近辺での任務を終え、スメールシティへ戻る途中のセノは、取り立てて焦る様子もなく淡々と返事をするのみである。
が手紙に添えて送ってくれた茶葉に指が伸びかけたが、彼女からの手紙によると、セノは僕がにあげたオイルの匂いを気にしていたようだったから、面倒に巻き込まれるのを避けるために、なんの変哲もない珈琲を淹れた。身寄りのないに社会的な役割と居場所を与えるように勧めたところ、すぐにセノは喫茶店での仕事をに与え、それから数ヶ月経つので、今はの方がお茶を淹れるのが上手だろう。
「と最近出かけたの?」
噂されかねない相手に一人しか思い当たらず、そうと捉えられるなにかがあったのかという意図を込めて尋ねれば、セノは迷わず肯定した。
「ああ、一緒に夕飯の材料を買いに行った」
「え、きみとが夕飯を一緒に作ったの?」
「正確に言うと、俺がにタフチーンを作った」
「……は?」
キャラバン宿駅で命からがら砂漠を抜けてきたの体調を診たとき、スメールの料理は匂いが独特で食が進まないと打ち明けられたのは、記憶に新しい。
「、スメールの料理が食べられるようになったの?」
「いや、食べてはいたが、食べにくそうではあったな」
おそらくそのときの光景を想起しているはずのセノの視線は、どこにも辿りつかず、やわらかな雰囲気を滲ませるのみであった。茫然とした。セノの性格上、中途半端に投げ出すことは断じてありえはしないが、気持ちを通わせるような交流がこんなに長く持続するとは、数ヶ月前にひどくぎこちない雰囲気を漂わせていた二人からは想像もつかない。
「とにかく、噂は噂でしかないってことがわかってよかったよ」
「そうだな。奴らもそのうち飽きるだろう」
「もしの耳に入ったら焦って取り乱してしまうかもしれないし……」
幸いにも、スメールでの生活にやっと慣れつつある段階のは、教令院に関係する人物との関わりが浅い。ただ、ひとりではなにもできない子どもではないから、この二人が知らぬ間に関係を深めていっているように、もみずから好んだ相手と仲良くなっていくことだって十分にありえるのだ。それをセノは知っているのだろうかと、彼女を保護している張本人である男を見やると、ふ、と小さく笑うものだから、僕は二度も茫然とさせられてしまう。
「……噂はどうでも良いが、のその姿には、興味がある」
噂は噂でしかないが、根も葉もないとは言い切れないのかもしれないなと、呆れと驚きが入り混じる脳でじわじわと認知した途端に居た堪れなさが許容を越え、よくわからないまま機嫌がよくなったセノが早く珈琲を飲み終えてくれないかと、祈るような気持ちを抱いてしまうのだった。