my.
「とはもうずいぶん前にお別れしたんだよ」
そう告げると、の顔からわかりやすく表情が剥がれ落ちた。懐かしい制服を着込んだ、亡くなったはずのは、二年前と変わらない姿かたちでそこにいる。夏の気温に気力を吸い取られたせいで顔色が悪い。血色に欠けた唇が細かく震えて「お別れって、どうして……」と呟いている。
「どうしてだろうね」
本当のこともも嘘も伝えられなかった。ごまかすための言葉は声に乗せるとやけに冷たい響きになってしまった。だけど、どんなに後悔したとしても上手な返答は選べないのだから、どうか、そんなに傷ついた顔をしないでほしい。
あの事故が悪い夢だったんじゃないかと思うくらいにの姿は鮮明だったから、命日じゃない日にのお墓に出向いたけれど、無機質な大きな石はきちんと冷たく立っていたし、切り取ったきり目を通すことのなかった事故の新聞記事も消えずにの行く末を記している。亡くなったはずの人間が生き返るはずがない。だとすればここにいるのは幽霊なのだろうと少しのあいだ観察してみても、ふつうに怪我をするし、食事をするし、肌が柔らかくてあたたかい。言ってしまえば、なにからなにまで生前のままだった。
いつになっても消えてくれない幽霊が幽霊ではないと確信を持ってから、どうせなら突然現れたをたくさん甘やかして、この二年間ずっと抱いていた後悔を昇華させようと最低なことを思いついた。制服を取り上げて別の衣服を与え、食事を作り、髪が濡れていたら乾かしてあげる。この時間軸にとってイレギュラーな存在であるは不思議なことに家の敷地から出られないようだったから、ここに来てから迷子の子どものような表情が抜けないにとって、俺はいなくてはならない存在のはずだ。
「……って、思ってたんだけど」
大学の講義のあとに仕事をこなし、深夜といってもいい時間帯に自室の扉を開き、そこに広がっていた光景に思わず苦い声が漏れる。ひとり用にしては少々大きめのベッドの上に、身体をぎゅっと丸めてが寝転がっていたのだ。足音を立てないように気をつけてゆっくりと近づいて見ると、完全にまぶたを閉じており、次いで、穏やかな寝息が聞こえてくる。息をしてくれていてほっとした。ここ最近で二度も気絶をされたせいで気が弱くなっているらしい。
ソファで眠るように促したのに懲りずにベッドで眠るをわざわざ抱き上げてソファまで運ぶ。疲労がさらに積み重なった腹が立ったので頰をつまむがそれでも気が収まらない。生前、きちんとした恋人関係だったらここでキスでもしてやったところなのだが、そこには全く自信がないのでため息をついてからタオルケットをかける。
後悔を解消させる程度でとどめるべきなのに、こんなふうに近づかれたらもっと触れてしまいそうで、嫌になる。
昼頃にソファで目を覚ましたは、覚醒する間際、どこにいるのかわかっていないようで、お腹にかけられたタオルケットを不思議そうに見つめる。
「私、最初からソファで寝てた……?」
寝癖のついた頭をかしげて見上げてくる。眠るときの記憶が曖昧なのは助かった。
「寝ぼけてるねえ……。タオルケットあげたでしょ。寒かったら毛布とかも持ってくるけど」
俺の言葉に首を横に振って立ち上がる。日毎に食が細くなっていくは心なしか痩せてしまったように見えるが、抱き上げたときの重さはあまり変わらなかったので安心する。とはいえ、こんなのがずっと続いていいはずがない。がまた死んじゃったらどうしよう、って、ばかみたいな心配事だ。
「美味しそうな野菜を買ってきたからそれでお昼にしようね。野菜なら食べられるでしょ」
「……あ、でも」
「たくさん食べなくてもいいよ。無理に食べなくても、食べられるだけ食べてくれればそれでいいから」
の食欲が減っていっているのは純粋に心配だし、作ったものにあまり手をつけてもらえないのは悲しいが、無理して食べてほしいわけでもない。残飯の多さを気にかけているにそう添えると、ほっとしたように頰を緩めて笑う。
「野菜ってスーパーで買ってきたの?」
「そうだよ」
「凛月もスーパーとか行くんだね」
「なに今更……。お菓子の材料を買いにスーパーに行くとか、むかしからあったでしょ」
「それはそうだけど。ごはんのためにスーパーに行く凛月って貴重だなって思って」
タオルケットを畳む手つきがやたらとゆっくりしている。の顔色が悪いのはいまに始まったことではないが、この頃はなんでも「お別れ」に当てはめてしまうようで、マイナス思考が止まらないらしい。ドライヤーで髪を乾かしてあげたとき。スーパーで野菜を買ったと伝えたとき。表情が落ちて物思いにふけってしまう。俺のせいとはいえ、暗い顔をされると胸がちくちくと痛んだ。
「の頭痛がなかったら連れていってあげたんだけどね。、ちゃんと買い物したことなさそうでおもしろそうだし」
「したことないとか、そんなことは……」
散々言い淀んだあとに「あるけど……」と素直に認めた。
「おもしろいとか言うのはひどい」
顔色が悪いくせにすみずみまであたたかいの指に頰をぐいっと伸ばされる。拗ねた顔もずいぶんと久しぶりに見る。気を引き締めていなければこの間みたいにうっかり泣いてしまいそうだ。
いつか終わるはずのこの日々の先に、ふたりで料理の材料を選ぶ未来がきっとあればいい。