me.


 ちょっとだけ日焼けをしたがひっくり返りそうな声で教えてくれた未来で過ごした日々は「ありえない」と疑ってかかるには現実味がありすぎるものだった。の胸元で、あげた覚えのない青色のネクタイがゆらゆらと揺れている。あれから何度も探してみたが、学年が変わる折に支給されたはずのそれは家のどこにも見当たらなかった。修正された歴史のなかにと夏を過ごした未来の俺はまだ存在しているのだろうか。その可能性を考えると、どうしようもなく胃のあたりがざわめく。

 例の事故が起こる予定だった日が何事もなく過ぎていったとはいえ、が不慮の事故で死んでしまう未来があるのだと知ってしまったら無意識にでも警戒してしまう。登下校はなるべく付き添って車道側を歩かせず、一緒に帰れないときは家に着いたら連絡を寄越すように約束をさせた。気をつけておいて損はないだろうが、そうやってみっちりとの生存確認をしていると、ま〜くんがやたらと嬉しそうにするのでむずがゆい。おおかた、小学生の頃から今までずっと俺たちの関係についてときどき気に病んだりしながらも見守っていたから、俺から誘って一緒に下校していると微笑ましい気持ちになるとか、そんなところなのだろう。


 このごろはたまに「二年後の俺」の夢を見る。保健室でと一緒に同じ悪夢を見たのを皮切りに、夢を夢で終わらせないかのごとく、悲劇の続きを教えてくれる。その夢を見て目をさましたときは、決まって目尻が濡れている。


「……最悪」

 が死んでしまった日常の夢はやたらと精巧にできていた。お墓に備える花の感触はしっとりと生々しい。どちらが夢でどちらが現実なのか不明瞭になる。
 目をさましたら代わり映えのしない自室だった。四角く区切られた室内はしんと静まりかえり、照明もついていないのでやや薄暗いが、夏のおかげで日が長い。カーテンの隙間から抜けてきた橙色がシーツをほんのりと染めている。
 時間を確認するために枕元に置いていたスマートフォンを手に取るとからのメッセージが入っていることに気がついた。おいしいアイスを買ったからこっちに来るというメッセージは数分前に送信されたものだから、きっともう近くまで来ている。小学生のころからここに入り浸っていたにはインターフォンを鳴らす習慣がない。部屋のドアはノックしたりしなかったりとばらばらだ。ノックしないときは決まっての気持ちが不安定なときであるというのを加えて、アイスを買ったと言い訳して会いにくるわけだから、今日はそれなりに重症のようだ。

「……凛月」

 物音を立てないようにベッドに近寄ってきたの動きを寝たふりで観察する。目を閉じているせいで気配だけが頼りだ。
 背中のあたりがぎしりと沈み、がそこに体を横たえたのだとわかる。熱いくらいの体温が背骨のあたりにぴったりとくっつき、小さな声で何度かを呼ばれた。夢のせいで目元が濡れていることに気づかれたくなくて狸寝入りをしていたが、すがりつくような声をこのまま無視できそうにない。

「凛月、あのね……」
「うん。なぁに?」

 どうやら名前を呼んで額を擦り付けるだけではなく、言いたいことがあったらしい。そしてまさか俺が起きていると気がついていなかったようで、背中にくっついていた身体がぴくりと硬直するのを感じる。「あのね」の続きをその口から聞くために逃げようとした身体を腕の中に閉じ込めて、頰を赤くさせたと目を合わせる。

「起きてたの……?」
「誰も寝てるなんて言ってないよねえ……。で、いまなに言おうとしたの?」
「べつに、なに、も」
「あんな声出しておいて、なにもないってことはないでしょ」

 甘えるような声を出しておいて、知らぬ存ぜぬは通じない。言いたいことがあるのならなんでも言ってしまえばいいものを、遠慮がちなこの子は自分のお願いごとを伝えるのが壊滅的に下手だ。それで後悔することがあるのだと知っているはずなのに、十数年かけて築いた性格はそうそう変わらない。

「言わないと、が買ってきたアイスぜんぶ食べるよ」
「……いじわる」
「いじわるじゃないよ。俺に言いたことなんでしょ」
「それは、そうだけど」
「だったら、言わないとずっとこのままだから。まあ、このまま真夜中になるまで眠っちゃってもいいんだけど」

 に力で負けるはずもないので、抱きしめたまま寝転ぶのは造作もない。夏休みに入ってやたらと暑い日が続いているし、涼しい室内でごろごろしているのは至福だ。太陽の光をいっぱい吸い込んで熱を持ったを抱きしめているのはそこそこ気持ちがいい。

「凛月って花火大会に行ったことある?」

 根比べが長期戦になるのを見越して、目を瞑り浅く眠ろうとしていたときだった。絞り出す声が硬い。は初めにしていたように、胸に額をくっつけてその赤い頰を隠した。
 後ろ髪を撫でながら首を傾げる。いつか、幼い頃に兄に手を引っ張られて花火を見に行ったことはあったが、それはずいぶんと昔の記憶だ。少なくとも高校生になってからは一度も見に行っていない。

「ないことはないよ」
「花火大会は夜だから、凛月でも見に行けるってことだよね?」
「なに、、花火を見に行きたいの?」

 質問した途端に頭がぐっと強く押し付けられる。耳のてっぺんが赤く染まっている。

「……でも、人混みだし、暑いでしょ」

 ここまで言っておいてが遠慮するのは、いままでずっと一緒にいたのに、ふたりでお出かけをしたことがないからだ。つまり、デートらしいデートが未経験なのだ。誘い方がわからないのは当然なのだが、それにしてもは念入りにこちらの様子を伺い、返事をひどく怖がっているようなので、可愛らしく思うと同時に切なくなる。そうさせたのは小学生のころに結んだ約束がにわがままを言わせる機会を潰してきたせいだ。過去をなかったことにはできないので、これから少しずつ治してあげられたらいいのだけれど。

「俺は、としたいことがいっぱいあるよ」

 長い時間を太陽の下で過ごすのが難しい日もあるから、それでもいいのであれば、どこかへ一緒に行く相手に選んでくれないだろうか。

「……そんなにいっぱいあるの?」
「うん。もしかしたらよりもたくさんあるかもしれない。あとで教えてあげるから、もぜんぶ教えてよ」

 くっつきっぱなしだった身体をそっと押しやると、火照った顔がよく見えた。目の表面にはうっすらと涙の膜が張っており、まばたきをするたびに目尻が濡れていく。それが零れ落ちてしまわないようにと、柔らかい皮膚に唇をくっつけた。
 床に置きっ放しにされていたせいで室温に溶かされたアイスクリームを冷凍庫で固めているあいだに、が行きたがっている花火大会の日程を聞き出さなければならない。