26.


 凛月が作った晩ご飯をふたりだけで食べた。食べきれないくらいの量のそれらはクリスマスやお誕生日のお祝いみたいだったし、見事なほど私の好物ばかりだったので、いままで食べられなかったぶんを取り戻すかのようにたくさん食べた。欲張ったせいでお腹を苦しくさせていたら呆れ顔の凛月にお水を渡されて、よく冷えたそれをちびちびと飲んだ。
 食事のあと、ここに来てすぐに用意してもらった歯ブラシで歯を磨いているときに「今日は一緒に寝ようねえ」と言われて、喉が詰まって息が止まりかけた。腹を括ったとは聞いたけれど、一緒に寝てもいいのだろうか。一緒に寝る? 一緒に寝るって、なに。

「い、いい! ひとりで寝る」
「え〜……。はけちだなあ。いっぱい美味しいごはんを食べさせてあげたでしょ。俺にもなにかちょうだい」
「それは、そうだけど……」

 もごもごと口を動かして時間を稼いでいるうちに手を引っ張られて連行される。
 ソファで眠るようになる前の数回は凛月のベッドで寝起きしていたし、もっと以前の、二年より前は何度も寝かせてもらった。そのときと変わらないベッドを前にするとまるではじめてのときみたいに心臓がうるさくなって、視線を足元に落とす。裸足のつま先がぴんと立っている。

「へんなことはしないようにするから。ねえ、いいでしょ」
「しないようにするってなに……」
「だってずっと我慢してたんだよ。と一緒にいるのに、あんまりそばにいられなかったから」

 お別れをしたあとに再会できて、だけどいずれはまたお別れをする。一度お別れを経験した凛月は、私よりも覚悟しているのだ。
 近づきすぎたらお別れはもっと苦しいけれど、ここに来たなりの頃に一緒に眠ってくれた凛月が、凛月のしたいことかもしれないと思った。
 微笑んでくれているのに悲しくなるのは、ベッドに腰掛けた凛月が見上げながら手を握って「おいで」と声をかけてくるからで、私はむかしから、いつもよりも低く甘い声で誘われるところんと落ちてしまう。

「いまは、そばにいてもいいの?」
「ずっと一緒にいたかったけど、それは叶いそうにもないからねえ……。時間があと少ししか残されていないんだったら、くっついてないと勿体ないでしょ」

 賢い凛月にしては気がつくのが遅すぎる。凛月の家から出られない私がこの家で何年、何十年と過ごしていくのは安全で幸せかもしれないけど、私は凛月に伝えたいことがあるから、真緒くんに宣言した通りに、私の場所に帰らなければならない。

「……そういうことなら、お邪魔します」

 すっかり着慣れてしまったが、凛月の服だけを身につけた無防備な格好でベッドに上がるのはあまり良い行為ではなかったかもしれない。
 へんなことはしないようにすると言った凛月の言葉には期待せずに、ベッドの上で膝を抱える。向かい合わせで凛月はあぐらをかいてにゅっと手を伸ばしてきた。頰にかかる髪が耳にかけられる、指先が首筋を通って下へ、下へ。触られた場所から発熱していく。鎖骨のくぼみを撫でて、肩で停止した。心臓が壊れそうなほど鳴っている。

「……肩」
「え?」
「肩、ぶつけてたよね。はじめに門の前で会ったとき。痕とか残ってない?」
「う、ん……。たぶん残ってないと思う」

 凛月がベッドの上を移動するたびにぎしりと音が鳴り、静かな部屋の張り詰めた空気が震えた。背中に回り、シャツの裾がゆっくりと持ち上げられた。夏なのに暑さを感じないとくべつな造りの家が保つ空気はひんやりとしており、産毛が控えめに逆立った。首に引っかかっていた部分も取り払われて上半身が裸になった。身震いをして、タオルケットを手繰り寄せて胸元まで持ち上げた。背後にいる凛月は肩だけではなく、全身をじっくりと検分しているようだった。

「ちゃんと綺麗に治ってる」
「そう、でしょ……。もういい?」
はさあ、ここでこうしていたことを、忘れちゃうのかな」

 服を着てもいいかとの質問を無視して、ぼそりと零す。
 正面から身体を見られるのに抵抗があったから、顔だけを後ろにやると、静かな表情でこちらに視線を送ってきた。

「俺はあんまりに優しくできなかったから、忘れられちゃっても仕方ないとは思うんだけど、俺だけがを覚えているのは、ちょっと嫌だなあ……」
「な、なんでそんな話になったの……?」

 身体を見られる恐れをこのときだけは忘れて、ぐるっと全身を回して凛月に向かう。
 凛月が教えてくれた将来の夢も、いま頑張っていることも、料理の味もなにひとつ忘れるつもりはなかった。残念ながら凛月ほど記憶力はないにしても、タイムリープまでしたのだ。この記憶は墓場まで持っていける。

「ここにはが作った花壇があるんだよ。でも、のところには花壇はないでしょ」
「うん……? あるはずはないけど」
「俺はあの花壇を見るたびにを思い出すんだよ」
「嫌かもしれないけど、思い出してもらえると嬉しいよ」
「うわあ、が残酷なことを言う〜……。鬼だ、悪魔だ……」

 正面から抱きつかれた勢いに負けて、背中が凛月の体重を受け止めたままベッドに深く沈む。

「怪我も綺麗に治っちゃったしねえ……」

 身体と身体の間に挟まったタオルケットがぐしゃりと潰れる。ぎゅうっと痛いくらいに抱きしめてくる凛月の鼻先が耳を掠めたので、むずがゆさに身をよじった。

「凛月、泣かないで」
「泣いてないけど」

 耳元に顔があるから、どんなに小さく抑えたとしても、鼻をすする音が鼓膜を揺らす。
 だけど上半身を起こして顔を見せた凛月は言葉通り泣いてはいなくて、泣いてくれたらよかったのに、と思わずにはいられない。目の端がちょっとだけ赤いのが月明かりのおかげでわかった。

「がんばってるんだってば」

 堂々とした馬乗りのような体勢のまま拗ねた声で言われて自然と笑い声が漏れた。

「なに笑ってんの。今日のは全然かわいくない」
「ううん。安心しちゃって、気が抜けたら、表情筋がゆるくなった……」
「いま真剣な話してたと思うんだけど」
「ちゃんと聞いてるよ」
「じゃあ、もっといっぱい話すから、先に寝ないでよね」

 自慢じゃないが、この家に来てから生活習慣は乱れに乱れていたので、夜更かしはかなり得意な分野になった。きちんと朝か、遅くても昼に外出している凛月よりも長く起きていられる自信さえある。
 ごろんと寝転がり、お互いの目はすぐそこにある。凛月の黒くてつやつやとしたまつげの数さえ数えられそうだ。

「あっ、服ちょうだい」

 室温に慣れてしまったとはいえ、肌を出したままであるのは如何なものか。凛月は一緒に寝てくれるようだし、一夜を越えるのであれば防ぐ布が要る。

「え、いるの?」

 とぼけた様子の凛月の横腹をなんどもべしべしと叩くと鬱陶しそうに眉を寄せる。

「こんな格好で寝るのはさすがにおかしい」
「俺にしか見せないんだから、別にいいでしょ」

 もちろん当たり前なのでそれはそうなのだが、果たしてそれでいいのだろうかと悩んでしまう。純粋な羞恥もある。だからといって、時折瞳になんだか不安そうな色を落としながら身体を押し付けるようにして抱きついてくる凛月を引っ剥がせず、ぬるい体温に絆されたままじっとしながら呼吸をした。

「キス、したい」

 近づきすぎないように気を付けていた凛月は正しかった。長い時間抱きしめられているだけなのに、もっと、だんだん、欲張りになる。

ってほんとに単純」
「私だってずっと我慢してた……」
「そう? でも寝込み襲ってきたりしたじゃん」
「え?」
「結構前だけど、俺が寝てるときにほっぺとか鼻にちゅーしたでしょ」

 ぐんぐんと顔に熱が集まっていくのがはっきりとわかってしまった。
 指摘の通り、寝ている凛月にキスをしたり、やたらとくっついたりはした。突然二年後の未来にやってきて、怪我をしていたし、すぐそばで好きな人が眠っているのだから触りたくなるのは自然な衝動ではないのか。
 にやにや笑いでからかわれるのであればまだよかった。今日の凛月はひとつひとつが真剣で、決して茶化したりしない。その切実さが刺さってこっちばかりが恥ずかしく、全身を駆け巡る熱は高くなっていくばかり。

「忘れてください」
「絶対忘れてやんない」
「……もう寝ます」
「え〜……? 寝ないでって言ったじゃん」

 いまさら狸寝入りを打ち明けるなんてひどい。もう服なんかどうでもよくなり、タオルケットを上半身にぐるぐると巻きつけて凛月に背中を見せる。そうすると先ほどまで真剣ひとすじといった様子を貫いていた凛月はくすくすと楽しそうに笑いながら身を乗り出して頰に唇をくっつけてくる。いやがったふりをして手で払おうとするがすぐに骨ばった手に捉えられて抵抗の道が塞がった。薄いものでしか隠されていない心臓がひっきりなしに動いていて痛い。あと少し。残された時間は、もう少し。