24.
しっとりとした真夜中は泣かないようにがんばれたのに、次の日になるとどうせ泣いてしまう。幼いころに立てた、凛月のまえでなるべく泣かない誓いはことごとく折れていく。だって、凛月が私が泣いていることで迷惑そうにしたのはうんと昔のことなのだ。
泣いている私よりもずっと苦しそうな顔で背中を撫でたりしてくれたのは一度や二度ではないのに、嬉しい光景よりも悲しい光景が深く刻み込まれているから、いまだって、凛月のまえで泣きたくないと思い込んでしまっている。
冷やし中華は完食できたけど随分と泣いてしまったので、いつもよりも時間をかけて湯船に浸かって念入りに全身を温めて余分な水分を押し出す。浴室を出て、凛月の服を身につける。洗いててで清潔で、凛月のにおいがついている服が、いまはなんだかくすぐったい。
リビングの扉を開いて中を覗き込むと、いつもなら出かけてしまっている凛月が、昼を過ぎたこの時間帯にドライヤーを手に持ってソファに座っている。こちらを振り返って「はやくおいで」と誘ってくる。
「……凛月は、今日はおやすみなの?」
「うん。久しぶりに丸々おやすみだから、なんでもしてあげられるよ。だから、そんなところから半分だけ顔出してないでこっちに来なよ。髪をかわかしてあげる」
ドライヤーをくるりと回しながら言った凛月は、声が教えてくれるよりも不安そうに絶え間なくこちらに視線を向けていた。お互いにすれ違いがちな生活に慣れてしまっていた。はじめてこの家に来たときにしてくれた触れ合いをまたするとなると気恥ずかしく、その思いは凛月も同じらしい。
ラグマットの上に座るとすぐにドライヤーのスイッチが入る。頭に心地よい風があてられる。凛月の指先が頭の上を何度も何度も通り過ぎる。
「……、首赤いよ。のぼせたの?」
「う、うん……」
「それとも緊張してる?」
「してない」
「声、うわずってるけど」
「きっ、気のせい」
「大丈夫だよ。優しくするからねえ」
冗談まじりに、張り詰めた肩を撫でられても効果は芳しくない。首の赤さを指摘されるとますます身体は火照り、恥ずかしさは増していく。俯いたら首を凛月に見せやすくなるというのに、こればっかりはどうしようもなかった。
「髪の毛、かわいたよ」
「……うん。ありがとう。髪の毛かわかすの上手だね」
ふと思い出したのは、はじめて凛月に髪をかわかしてもらったそう遠くない日の薄暗い感情だ。手慣れているやり方で私の髪をかわかした凛月は、もしかしたら他の誰かのためにそれをして、腕を磨いたのだとしたら、胸がぎゅっと塞がって喉が苦しくなる。そうであったなら嫌だと思ってしまった。
「だってずっと一人暮らしのようなもんだし、そりゃあうまくもなるよ。仕事もあるから身だしなみをしないわけにもいかないでしょ」
「え? ああ……うん、そう、だよね」
ああ、そうだ。凛月は「仕事」をしているのだ。真緒くんが言うには「学校」にも通っているらしい。高校はとっくに卒業しているはずで(そうあってほしい)、そうすれば大学や専門学校などに進学したということだろう。
「……ねえ、。なにか気にしてるなら、隠さずに言って」
背中を向けているので、表情が見えないぶん声色が敏感に届く。硬い声だ。平生、落ち着いて飄々としている凛月が、このごろはその薄い皮膚の下に流れている感情をしょっちゅう露わにしてくれる。
「凛月がいま、なにをしているのか、ずっと気になってるの」
一緒に暮らしているのに、家の外でどうやって生きているのかひとつも見えてこなかった。どんな人生を歩んでいるのだろう。凛月は要領が良くて、人を甘やかすのも人に甘えるのも上手だから、すぐに素敵な人がそばにいるようになるだろう。そうしてちゃんと幸せでいてくれたらいいのだけれど。
「私が、その……どうなったのかは、わかったけど、凛月のことってなんにも教えてもらってないなって思って」
言わないことが言いたくないことと結びつかない場合だってあるだろう。凛月に踏み込んで嫌がられることはないって、真緒くんが太鼓判を押してくれたのだ。首筋にじんわりと嫌な汗が伝うが、弱った心に大丈夫だと言い聞かせる。
「ってさあ……」
「う、わ……!?」
するりと首筋を撫でられて驚き、慌てて振り返ろうとするもそのまま後ろから抱きしめられたせいで身動きがとれなくなる。
「ご、ごめんね。言いたくないことだったら聞かないよ」
「……聞いといてそれはないんじゃないの。俺だっていちおう腹は括ったんだよ。こっちがいくらがんばって近づきすぎないようにしてもがそんなんだから無理だってわかったしねえ……」
怒られているようでいて、抱きしめる力が優しい。日に焼けていない肌を撫でるとさらに力が抜けて、だらんともたれ掛かっているだけになる。背中にぴったりくっついている身体の奥にある心臓の音は速い。
離れぎわに一度だけぎゅっと力を入れて抱きしめられる。
「……すこし、話をしよっか」