19.
「真緒くん!」
昨日、凛月を待っていたときと同じポジションである。扉を開きっぱなしにして玄関で膝を抱えてしゃがみこんでいると、遠くから真緒くんがやってくる。いつも訪ねてくれるけれど、こうして迎えるのは初めてだ。鮮烈な夏の日差しのもとを歩いている真緒くんはかぶった帽子の下で驚いたように目を丸めていた。
「、今日はちゃんと起きてるんだな」
アイスクリームのカップが入ったビニール袋を掲げて「食べるだろ?」と眉を下げて笑う。
「……真緒くん。凛月と話をしたよ」
「そっか」
「凛月の馬鹿、みんな、馬鹿、私も……。私が、いちばん馬鹿だったんだね」
凛月がそばにいないと寂しいくせに、まともに「好き」だと告白できず、ずっと心の底で温めて腐らせて、とうとう死んでしまったのだ。たくさん好意を伝えてくれた凛月に一度も応えられなかった。それだけにはとどまらず、凛月が作ってくれた食事すらまともに食べずに、私が自分のことで悶々と悩んでいるあいだ、考えが足りない私は不用意に近づいて触れようとしてずっと凛月を傷つけていたのだ。こんな馬鹿な人間は他にいないだろう。気持ちのひとつも伝えられないくせして一丁前に凛月の体温を欲しがる、わがままな馬鹿者、それが私。
「そうだなあ、ちょっと馬鹿だったかもしれないな。……俺も」
暑い暑いと言いながら被っていた帽子を脱いで玄関に上がってくる。黙って見上げる私の手を引っ張り上げてくれるのは真緒くんだ。こうやって何年も真緒くんに元気をもらってきたことは、すぐに死んでしまうのだとしても、絶対に忘れてはいけない。
真緒くんが買ってきてくれたピスタチオのアイスクリームはとてもおいしかった。眠りからさめて初めて口に入れるのがアイスクリームだというのは生活のだらしなさを浮き彫りにして後ろめたくなるのだが、夏らしくて楽しく思えてしまう。
「どうして真緒くんと一緒だったら食べられちゃうんだろう」
アイスクリームもプリンもシュークリームも食べきれたのだ。もともと甘いものばかりを食べていたわけではないのに、主なカロリーは真緒くんが買ってきてくれた甘いものが大半を占めている。一目でわかるくらいに栄養バランスが偏っており、これでは凛月が言うところの「死んでしまうかもしれない」レベルではないが、健康によくないのは明らかだ。
「そんなの、わかってることだろ」
「え、真緒くんはわかるの?」
「はひとりで食べるのが寂しいんだろ」
伝言のメモと共に作り置かれた食事たち。凛月は料理が上手で、私のお腹はちゃんと減っている。食べられないのは、ひとりで食卓につくのが寂しいから?
空になった二つのカップを捨ててまたリビングに戻り、クッションをお腹で抱きしめて真緒くんに向かい合う。
「ひとりで食べるのが寂しいなんて子どもみたい」
真緒くんに指摘されたときはどきりとした。ちゃんと食べきれたとき、必ず真緒くんと一緒だった。凛月の作ってくれたものが並ぶ席についているときの私はひとりぼっちで、喉がきゅっと締まり、おいしいのに箸が進まずすぐにやめてしまう。そういうことなのだろう。
「普通のことだよ。俺も中学のときからわりと一人で食べることが多かったからよくわかるんだ。適当に済ませちゃうんだよな」
「でも……それとこれとは違うでしょ」
「違わない。おまえ、凛月がいなくて寂しいって言ったじゃん」
「わ……私が、いつ、そんなこと言ったの?」
「高二のとき」
「嘘でしょ。真緒くん大学生になったのに、なんでそんな前のことを覚えてるの」
「覚えてるよ、ちゃんと。が凛月のことを好きだって言ったのだって覚えてる。めちゃくちゃ嬉しかったから」
にっこりと笑う真緒くんは嘘偽りのない喜びで満たされているようで直視できない。そっと目を逸らし、テーブルの上がすっかり定位置となった真緒くんの時計で時刻を確認する。午後二時過ぎ、一日のうちでも日差しが強く、気温の高い時間帯だ。
「どうして真緒くんが嬉しくなるの、って聞いてもいいのかな」
凛月を好きでいることが凛月を苦しめているように思えて、私は苦しい。現に、この時間軸を生きる凛月は私に近づかれると苦しいようで、つとめて私を遠ざけている。告白は許されない。近い未来のいま、私はもう生きていない。
真緒くんは少しだけ悩んでいるようだった。あまり思い出したくないのか、それか、私に話すべき内容ではないのか。
涼しいつくりの家だとしても知らずに緊張していたのか汗が滲み、暑かったので冷蔵庫から麦茶をとってきてコップに注ぐ。この麦茶も凛月がつくっているのだろうか。
ごくりと喉が鳴る。半分くらい一息に飲み干した真緒くんは意を決したように姿勢を正して、口を開く。
「好きっていうのがどんな種類の好きでも、俺はが凛月と仲良くしてくれて嬉しいんだ。小学生のとき、俺しばらくあいつの家に行かなかったんだけどさ、そのとき凛月といろいろあってさ……。そのことをたまに忘れちゃったりもするんだけど、尖ったものがだめになったきっかけはそこにあって、それは薄れたとしてもずっと変わらないことで、この先も忘れたり思い出したりするんだろうけど。だけど、その間もはずっと凛月と一緒にいただろ」
小学生のときに仲間はずれ事件が発生したのだが、確かにそのとき私は凛月の家に入り浸っていた。真緒くんが訪れない凛月の部屋を逃げ場として利用していたのだ。
「俺は凛月のことが怖くて避けてたんだ。でもは凛月と一緒にいてくれて、それが俺は嬉しかったんだよ。ありがとうな」
「私、は……、そんな、真緒くんにお礼を言われることなんて、なにもしてない」
「俺は嬉しかったんだって。あいつが怖かったのは本当だけど、大事な幼馴染だから」
苦しそうに告白をする真緒くんはしっかりと大人っぽく成長したというのに表情に幼さが差し込み、高校生のころに戻ったようだった。おんなじ軸を通ってきた真緒くんだ。だって、真緒くんはいつもどこにいても真緒くんなのだ。
「小学生のとき、がひとりでいることも気になってたのに、なにもできなかった俺だって馬鹿だ。……ごめんな」
真緒くんが謝ることではないだろう。そう言ってあげたいのに、からだが熱くて泣きそうで、声が出ない。コップに手を伸ばしてどうにかして喉を潤す。
「……あのとき、私は凛月に優しくしてもらいたいから、凛月に優しくしていたの」
ここにいてもいいよと許してもらうのと引き換えに、凛月を怖がらないことを約束させられた。真緒くんが打ち明けてくれた話とあわせて考えると、それは凛月が真緒くんに怖がられたことによる寂しさから出た言葉なのかもしれない。純粋に私だけにかけられたものではないのだろう。だとしても、約束をのんだ私に凛月は誠実で、やさしく、居場所を守ってくれた。扉に触らせてくれた。与えてくれたものはたくさんあるのだ。些細な触れ合いが嬉しくて、凛月のそばにいると、とても幸せだった。
「最初はそうだった。自分のために、凛月のいうことはなんでもきいていたよ。……でもね」
約束に寄りかからなくても平気になったあとに、それでも凛月のそばにいたい理由なんてひとつしかない。凛月がいる夢ノ咲学院を進学先に選んだのは私で、凛月の部屋まで歩くための足を動かしているのも私だ。
最初はきっと、自分のために凛月が作った約束を利用していた。キスをされるときに怖くないふりもした。
「真緒くん、お願いがあるの」
クッションを抱く腕に力が入る。二年後の未来にやってきてしまったことに意味があるのだとしたら、薄暗い部屋でくだを巻いているのをすっぱりとやめて、正しいと思うことを為さなければ。