17.


「うわあ……」

 数日前となにも変わっていない凛月の部屋で差し出された交通事故の記事には私の死亡が記されていた。小さな切り抜きである。そうやって終わりを告げた私の人生は想像していたよりもあっさりしていて、あっけなかった。わなわなと震える手から小さな紙切れがはらりと落ちて、凛月がそれを拾った。

「私、ほんとうに死んでしまったの」
「ほんとうだってば。そんな嘘をつくわけないでしょ」
「しかも誕生日に!」
「そう、誕生日に」
「そしたら私、あとちょっとで死んじゃうところだったんだ。でもいまはもう八月だから、えっと、もう死んじゃってるの? 嘘!?」
「まあまあ落ち着きなって」

 二年後の未来に自分がいないという事実と、二年後に来てしまったという出来事は、どちらのほうがより大きな事件だろう。そのどちらもがいっぺんにやってきてしまったらしい。脳がじりっと焼けて呆然とする。凛月に手を引っ張られてベッドに座らされる動作もどこか夢見心地だ。
 私の身体は凛月と喧嘩をしたわずか数時間後に息を止めてしまう。この手も足も、本来ならばなくなっている。

「少なくとも、いまここにいるは生きてると思うよ。食べるし、眠るし、血が通ってるんだから」

 凛月の指に包まれた私の指先は血が通っていないみたいに冷えていたのだが、血のにおいがわかる凛月がそう言うのなら、私の血管は生きているのだ。凛月の言葉以外に、生きている頼りがない。

「……あんまり食べられなくて、ごめんね」

 作り置いてくれていた食事をいつも残している。そのせいで凛月は『私が死んでしまうんじゃないか』と思っている。食べることをやめてしまったら私の存在はもっと希薄になるのだろう。それは生きていないようなものだ。

「うん、ほんとにそうだよねぇ。俺が一生懸命起きて、一生懸命作ってあげてるのに、一度も完食してくれない」
「ご、ごめんなさい」
「なのに、ま〜くんが買ってきたお菓子は食べてるみたいだし」
「……ごめんね、怒らないで……」
「やぁだ」

 凛月が隣に腰を下ろしたはずみでベッドがやんわりと沈む。間近で見た凛月の双眸はこれまでに見たことのないほど幼く滲んで揺れている。

「……ううん、別にいいよ。、ちゃんと生きてるから」

 人はいつか死んでしまうのだとわかっているが、それはもっと先の、何十年も先の未来のことで、どこか自分には関係のない出来事だと思っている節があった。交通事故のニュースも、戦争も、全部が自分には関係のないことだと思っていたのに、災厄は他でもない私に降りかかり、この世から去りゆく。
 新聞の切り抜きという動かぬ証拠を見せられても半分くらいは作り話だと思っているのだろうか、凛月がたくさん撫でてくれたおかげで指先に体温が戻ってくるとなんだか眠たくなってきた。いつもならとっくに眠っている時間だから仕方がない。

「……最初は、の幽霊が訪ねてきたのかと思ったんだよ。あの日はの誕生日だけど命日で、俺はのお墓まいりに行った帰りだったから」

 日差しが容赦のないよく晴れた日に、凛月が外出をしていたのはそういう理由があったらしい。
 七月のあの日、私が凛月の家の前に飛ばされた日は私の誕生日であり命日で、凛月は私のお墓まいりに行っていたのだ。

「凛月、私のお墓まいりにいってくれているの」

 自分で言ってなんだか切ない。お墓に入るのは、想像できないくらいに皺皺になってからだとぼんやりと考えていたというのに、無念である。

「当たり前じゃん……。って俺のことなんだと思ってるの? 来年も十年後も、百年後も行くよ」

 凛月が年老いた姿は想像しがたいが、百年後を迎えるのは老人になるよりももっとあとのことだろう。
 ずうっと滲んで揺れている凛月の目はいまにも泣き出しそうなのに、口元をゆるめて柔く笑っている凛月はあたたかくなってもなお私の手を撫で続けている。体温が逆転する。凛月の手はひんやりとしていて、それはよく慣れた凛月だけの温度だった。

「一生来てくれるって約束してくれているみたい」
「そういう意味で言ってるんだけど」

 約束を破らない凛月がくれた約束は、いままでしてくれたどの約束よりも大きな約束だった。
 命日に、それもきっと日が出ているうちに、お墓まいりをしてくれる。もしかしたら花を添えてくれるのかもしれない。物覚えの悪い私は覚えていなかったけれど、むかし、冷たく枯れてしまった花壇をさみしく思ったのを覚えてくれていたように、凛月が私のお墓に花を添えてくれていたらとても嬉しい。

「……なに笑ってるんだか」
「ううん。もう、寝るね」

 一緒に眠らないと決めたのだから、凛月の部屋から出ていかなくてはならない。離れがたかったけれど凛月のやさしい指たちからすっかりと温まった手を引き抜き、そっと立ち上がる。振り返ると、凛月はベッドに腰をかけたままこちらを見上げていた。泣きそうで泣かない顔は変わらない。
 引き止めてくれなかったことを残念がる権利を、私は持っているのだろうか。

「……凛月。また、明日ね」

 おやすみ、ともう一言つぶやいて凛月の部屋を出た。根城にしているリビングに戻る途中、黒い遮光カーテンを少しだけ開いてお月さまを覗き見る。やがて満ちる月に頭が傷んだ。いつまでもここにはいられないということを知っているのは私だけではないのだろう。