11.
二年後の真緒くんも忙しい日々を過ごしているようで、一時間ほどしたら帰っていってしまった。また来るからという、かたい約束を残して。
真緒くんが帰ったあとに凛月の帽子をかぶって花壇作りの続きをした。辺りが薄暗くなるまで没頭していたようで、手元が見にくくなるのを終了の合図にして家の中に戻り、汗を拭いてからソファに横たわる。
心地よい疲労感とともに、二年後の真緒くんを目の当たりにした困惑が濁流となって押し寄せた。テレビや新聞を断ち切り、凛月の家に依存して未来の情報を知らないようにしていたのに、真緒くんのほうからやってきてしまったのだ。恐ろしいことだった。私が近くにいないことを受け入れてつつがなく生活しているひとは、高校生の時分まではあんなにたくさん、そばにいたのに。
○
「凛月とつきあってるのか?」
中学三年生の夏に初めて訊ねられた内容に、ベランダの柵を掴みながら、いまさらだなあと率直な感想を抱く。
真緒くんほどではないけれど私はしょっちゅう凛月の部屋にあがりこんでいたし、それが真緒くんに気づかれないはずがない。そしてさらに、凛月は私との関係を隠すような素振りを一切持っておらず、人目のある場所で手を握ってきたり後ろから抱きついてきたりとスキンシップが多かったので、それってどういう関係なのだろうかと疑われないほうが珍しい。真緒くんは鈍感なのだろうか、私たちから一番近くにいるはずなのに、ここ最近でおかしいなと感じはじめたかのような新鮮な声で問いかけてきた。
「……たぶん」
「たぶんってなんだよ」
中学に入ってからキスは何度もしていた。凛月が高校に入ってからは親に言えないようなことも、ちょっとだけした。
凛月はたまに私を「恋人」だと言うし、たくさん触れてもらっているのに自信を持って「恋人です」と名乗れないのは、この関係は凛月に味方でいてもらうために凛月を怖がらないという条件のもとに成り立っているからだ。鍵が開いたままになって、いつでも逃げ込めるようにできている部屋は決して無料ではない。約束を破れば凛月はすぐに私を切り捨てるだろう。
これまでずっと凛月のそばにいた。もしも鍵で拒まれたら、きっとどこに行けばいいのかわからなくなってしまう。
「たぶんは、たぶん。凛月ってなに考えているかわかんないから」
夕暮れはあと数十分もすれば紺色に塗り替えられるだろう。夏のせいでちっとも夜の涼しさを感じられないけれど、最終下校時刻が近い。
西日を左頰に浴びてこちらを神妙な顔つきで見つめている真緒くんはなにか言いたげに口を開閉するが、息を吐くだけで終わってしまった。つきあってもいないのにべたべたしているのは不純であると責められているような気がして目を伏せる。
私を見張っている罪悪感のかたまりはあまりにも大きすぎた。
小学生のころとは違っていじめられてなんかいないし、いまはもう真緒くんと学校でしゃべれる。だから、凛月が私をあの部屋に招き入れる義理はとっくの昔に消え去っている。
凛月が味方でいてくれなくても大丈夫になったのに、腕がちぎれるほど引っ張られたとしても、凛月のそばを離れられそうになくてとても苦しい。
○
居候生活を始めてから知ったことなのだけれど、外から戻った凛月は必ずリビングを横切ってキッチンの流しでうがいをしたあとに冷蔵庫から取り出した炭酸水を飲む。帰宅する時刻は決まって遅く、リビングで眠っている私は物音で目をさますときとさませないときがある。
決して無理やり起こされることはなかったが、今日は違った。掴まれた肩をゆるく揺すられ、耳元で何度も何度も名前を呼ばれる。
「、起きて」
何回も呼ばれたあとにようやく目にした凛月の顔は不自然なまでに歪んでいた。いっぱいに目を覆っている涙のせいだ。
「こわい夢でもみちゃった?」
体を起こして額に滲む汗を手の甲で拭う。無理に走ったあとのように息がぜいぜいと上がってきていたので、言葉のかわりに首を横に振る。
「……真緒くんとしゃべってる、夢」
凛月と一緒にいる空間が居心地がよくてとても好きだと思えていたから、今日まですっかりと忘れていたのだが、私と凛月の関係はひどくぼんやりとしたものだったのだ。
今日は触ってくれるだろうか、誕生日を覚えてくれているだろうかとひとつひとつ指をさして確認しながら、凛月に大切にされていない可能性を潰してどうにか生きていた。誕生日を忘れられて悲しかったのも、純粋なそれではない。自己愛によって大きく育った、もっと黒々としたものだ。
「そういえば、ま〜くんに会えた?」
凛月のきれいな鼻筋が月明かりを浴びている。カーテンを閉め忘れたらしい。笑っていないせいで無機質な印象を与える凛月に怯みながら頷いた。
「凛月が私のことを教えたの?」
真緒くんの泰然とした様子は、私を偶然発見したそれではなかった。
「が……高校生のがずっと元気にならないから、ま〜くんに頼んだんだよ。に会ってあげてって。やっぱりはま〜くんに会ったら元気になるんだね。よかった」
凛月はリビングのテーブルに並べたままの真緒くんが買ってきてくれたお菓子たちをそっと脇にどかしながら、静かに目を細めて笑う。依然として無機質な印象は拭えず、怒っているのではないかと、冷えた心臓が鳴る。
怒っているのかと訊ねながら凛月に手を伸ばす権利はない。私はまだ花壇を完成させていないのだ。
「ま〜くんのお菓子、もっと食べる?」
「……あしたに、する」
乾いた喉でどうにか返答すると凛月はそれらをてきぱきと片付けた。敷地を出てもいないのに頭の中身がぐわんと揺れる。
凛月と交わす言葉が少なすぎて、このままだとどんどんすれ違っていってしまう。早めにどうにかして軌道修正しなければもっと悪い状況になるというのに、翌日から凛月が家にいる時間がますます減り、とんと話せなくなってしまったのだ。