10.
「……どうぞ、麦茶です」
麦茶が注がれたコップをテーブルに置いてからいつも寝床に使っているソファに腰をおろす。向かい側に座っている真緒くんは「ありがとう」と言いながらコップに口をつけた。麦茶を飲む真緒くんは凛月よりもわかりやすく二年分成長しており、座った状態でも身長が伸びているのだと知らされる。高校生の頃は凛月のほうがわずかに高かったが、今は真緒くんのほうが高いのかもしれない。
「あ、これ懐かしいなあ」
無断で借りている真緒くんの時計はテーブルに置きっ放しだった。真緒くんが真緒くんの時計を撫でている。
高校生のときのように前髪をピンで留めていない真緒くんは、赤毛を横にさらりと流している。小学生の途中から高校生までずっと同じ髪型をしており、真緒くんも前髪を上げるのに慣れていたようだったから、こんなふうに変化しているとは驚きだ。凛月はあまり見た目が変わっていないからさらにびっくりしてしまう。
「真緒くん、おっきくなったねえ……」
しみじみと言い放つと真緒くんはお日さまみたいに笑う。
「俺はもうちょっと身長欲しいんだけどさ。は……まあ高校生の頃のまんまだよな」
「だって……私まだ高校生だよ」
「そうだよな。じゃあ、がよく食べてたプリン、まだ好きだろ?」
コンビニのロゴが入ったビニール袋から真緒くんが取り出したのはプリンだけではなく、シュークリームやロールケーキなどもあり、テーブルに並べるとちょっとしたパーティでも開催するかのごとく華やかな品揃えになった。きっと新商品もあるだろうがどれも放課後によく買っていたもので、お小遣いに限りがある私にはちょっとした目の毒にもなりうる。
「ありがとう、真緒くん。こんなにたくさん、うれしい」
「ちょっとした手土産だよ。で、どれから食べるんだ?」
指先を空にうろうろと這わせて迷い、プリンの上で止めた。真緒くんは親切なことに上蓋を剥がしてプラスティックの使い捨てスプーンの封を切ってくれた。
凛月は私のお世話を焼こうとしてくれているし、真緒くんは私の知っている真緒くんと同じく、世話好きの性質をキープしている。この時代に来てから人に世話を焼かれてばかりいる。身の回りのことをなんでもしてもらうのはくすぐったい。小さなスプーンですくいあげたプリンのかけらはつめたくて甘い。
「すごくおいしい」
素直な感想を口にすると真緒くんは顔をほころばせた。
「うん、よし。ちゃんと食えてえらいぞ」
空になった容器すら真緒くんの手により回収されて、やりすぎではないだろうかと感じる。高校生の真緒くんは凛月の着替えさえ手伝っていたので真緒くんにとっては常識的な行動なのかもしれないけれど、手厚いお世話に慣れていない身分としてはやはりくすぐったさを拭えない。もぞもぞとお尻を動かし、居住まいをただす。
「花植えてるのか?」
ちょっと大人っぽく変化した真緒くんを上目で見遣り、小さく頷いた。まだ土の中にある小石などを取り除いている段階ではあるが、花壇作りに取り掛かっているので間違いはない。
「なんだか私、凛月の家から出られないみたいなの。それで凛月が暇つぶしに花壇を作ったらどうだろうって道具を買ってきてくれて、今日から花壇を作ってるんだよ」
「凛月とは長いつきあいだけど、庭に花が咲いてるところは見たことないな……。そうだな、花があったらさみしくないかもな」
うんうんと得心したように言う真緒くんの言葉の真意を掴めない。花がないとさみしく感じるのはいったいだれ?
喉が渇いているのか、真緒くんはコップの麦茶を一息に飲み干してしまった。凛月の家はもともと断熱性の高いつくりになっているのかあまり暑さは目立たないが、外気温は真夏のそれだ。真緒くんのコップに麦茶のおかわりと注ぎ、私も麦茶を一口飲む。プリンの甘さがぬるい苦みと共に流れていく。
「ねえ真緒くん。真緒くんって芸能人をしてるの?」
この間みた昼のバラエティ番組に出ていた見知った人の笑顔が脳裏をかすめる。私たちが通っていたのは特殊な学院だった。アイドル科に所属していた真緒くんや凛月も例外ではなく、歌や踊りで活動している可能性が高い。
「一応な? そんなとこ。大学にも通ってるけど」
「真緒くんらしい。ちゃんとしてるんだね」
「人生なにが起きるかわかんないからなあ。けど、凛月だって学校に通ってるぞ?」
「ええっ、そうなの?」
凛月の生活サイクルをそれなりに把握しているつもりだったし、凛月は出かける先を「仕事」としか説明してくれなかったから、ずっと仕事をしているのだと思っていた。七月の上旬から夏休みに入っているのであれば納得はいくけれど、どうなのだろう。
「なんだ知らなかったのか?」
「うん。たぶん、凛月は私に踏み込まれるのがあんまり好きじゃないみたい」
「それ、凛月が言ったのか?」
頷きかけた首をそっと停止させる。凛月は「踏み込まれたくない」とはっきりと排除するような物言いをしていない。ただ「今の俺はがよく知ってる俺じゃない」と言っただけだ。それを「むやみに踏み込んではいけない」と自己解釈して凛月との間に壁を建設したのだとしたら、私は凛月との会話を早々に諦めてひとりでふさぎ込んでいることになる。
だけど……でも、凛月は身体の接触を避けたいから、わざわざ下着に手をかけたのではないだろうか。それに途中まで一緒に眠っていたのに、今やソファが私の寝床として定着している。
凛月の考えがわからない。わかるための会話をしていないからだ。
「どんなことがあっても、凛月がに踏み込まれたくないって思うことはないよ」
「……そうかなあ」
やっぱり自信は持てそうにない。幼馴染として凛月とずっと一緒にいる真緒くんの後押しをもってしても、確信にはまだ遠い。
「とりあえず、花壇つくるのをがんばる」
真緒くんが買ってきてくれたシュークリームの袋に手を伸ばしながら昨日した決意を改めて声に出すと「いいじゃん」と目を細めてやさしく笑ってくれた。慰めるようではあるが決してあわれんではいない無償のプラスの感情に、過去も、いまも、ここにあるいまも、こうしてがっしりと引っ張ってもらっている。