6.
裏門でぱったりと昏倒し、凛月と同じベッドで目をさましたあとも気分がすっきりしなくてまた眠ったら、すでに時計の針は正午をまわっていた。真緒くんの時計で時刻を確認してからぼんやりと起き出し、ぐっと伸びをする。となりにはすうすうと眠る凛月がいる。あまりにも静かな眠り方だった。規則正しく上下する胸に手のひらをあてて、日光を嫌う白い頰にキスをした。体温の低い凛月の肌に触れるのはとても気持ちがいい。「の体温が高いからだよ」と凛月に言われたことがある。それは今みたいにふたりでベッドに寝転んでいるときで、凛月は私の頭を撫でていた。私が凛月の肌に触れるのが好きなように、凛月は私の髪に触れるのが好きなのかもしれない。
「凛月。お風呂にはいりたい」
うつらうつらしながらも、眠っている凛月のそばでじっと息をひそめてどれだけの時間が経っただろう。日が落ちていない時刻に凛月が起きないのはよくあることだったのでまさか自然と目をさますことはないだろうと侮っていたら、凛月はおやつの時間よりも早くに目をさまして「おはよう」とのんびりと言い放つ。このまま夜まで眠るようであったら、勝手に替えの部屋着を拝借してシャワーを使わせてもらおうとすら思っていたのだ。
外で何時間も眠っていた汗ばんだ身体を洗いたいと申し出るとすんなりと許された。
「お湯ためてくる」
てきぱきとは言えないが、凛月は寝起きにも関わらず浴槽にお湯をためてから私のために着替えを用意してくれた。凛月のTシャツとハーフパンツ、そして、この時代に持ってきた唯一の下着。
熱めのお湯に浸かる。凛月の家の浴室でいつもしていたように念入りに身体を洗い、下着を身につけるとほっとした。困ったことに、下着を身につけていないとどうしても凛月にくっつきたくなってしまうのだ。そういった欲求をいつも理性で弾けるほど意思は強くないので、下着で予防するしかない。
「すっきりした? 髪の毛かわかしてあげるね」
「え」
タオルで髪を拭きながらリビングに向かうと、ドライヤー片手ににこにこしている凛月がいた。明け方、凛月は私の世話を焼くのも楽しそうと言ったのだけれど、あれは本気なのだろうか。
「どうしたの……。おかしくなっちゃった?」
「俺だってたまにはひとの世話を焼きたいって思うんだよ」
「そんなこと初めて知った」
「いいから黙ってお世話されてなよ。しばらくずっとこんな日が続くんだよ。いちいち気にしてたら疲れちゃうよ」
「ずっと?」
よほど震撼させられた表情をしてしまったのか、凛月はおかしそうに笑って私をラグマットの上に座らせた。ドライヤーが吐き出す温風が後頭部にあたる。凛月の指は髪を梳いたり、頭皮をこつこつと叩いたりしている。たっぷりと時間をかけて丁寧に髪をかわかされたあとはブラシで仕上げられた。どこにも出かけたりしないのに、普段するよりもきちんと整った髪はなんだかくすぐったい。
ドライヤーのかけかたは丁寧だし、上手だった。手慣れているようにも感じられる。私とお別れをしたあとにできた恋人にでもしてあげているのだろうか。記憶のある限りでは、私は凛月にひとの世話を焼きたくさせたことはない。
いやだなあと思った。他のだれかによって磨かれたものでお世話をされるたびに胸に苦味が走るのはいやだ。なによりも、いやだと思うことが、いやだ。
「……?」
凛月の指が頰をすべる。
「まだ痛い?」
「痛くない、なんでもない」
ここ最近にできた傷はかさぶたになっていたし、一番重症である肩の打ち身もほとんど気にならないくらいになっていた。
「じゃあなんで泣くの」
「……なんでもない」
自分でもどうして泣いているのかわからなかった。天気はよくて、窓からさしこむ陽は溌剌としている。整頓されたリビングには凛月がいて、レモンを浮かべた夏のお風呂は気持ちよくて、凛月がドライヤーで髪をかわかしてくれた。洗いたての下着がある。凛月の服はちょっとぶかぶかだけれど、私は凛月の服を着るのが好き。
色づいた景色とは打って変わって、目の表面を覆っていた陰鬱な涙は目尻からぼろぼろと崩れ落ちていく。湿りきった目にうつる凛月はあどけなさすら感じさせる透明な表情で頰に手のひらを添える。ぬるい涙は凛月の手のひらに吸い込まれていく。
「なんでもないの、本当に」
タイムスリップをしたのが初めてで疲れちゃっただけ、と尤もらしい理由でどろどろとした感情に蓋をした。
「そっか。滅多に経験できることじゃないしね。また寝る?」
涙は止まらないが、それには首を強く横に振って断った。今後はともかく、今この瞬間に上乗せして世話を焼かれたらいつまで経っても泣きやめそうになかったからだ。あまり凛月のまえで泣いたことはなかったのに泣きやめないほど泣くだなんて、想像しただけで背中がつめたくなる。
肩にかけたままだったタオルで頰を拭う。凛月は「俺もお風呂にはいってこよっと」とのびやかに言いながら、それでも浴室に向かう直前に座りっぱなしの私の顔を覗き込んで「しんどかったら寝てもいいから」と言い聞かせてくる。
凛月はやさしい。そのやさしさは、どれだけ月日を重ねたとしても凛月を保ち続けていく。