3.


 二年前から持ち込んだ携帯電話はしっかりと圏外になっており、一切の連絡手段を奪われてしまった。どこへも繋がらない、ただの石のようなそれをじっと眺める。
 いまだに信じられない気持ちが胸中を渦巻いている。突然二年後の未来にやってきてしまったことと、未来の私は凛月と「お別れ」をしているということ。凛月が口にした「お別れ」はずっしりと重たい感じがして、それは長い月日を顔すら合わせずに過ごしているのだと物語っているようだった。

 意識を失ったときに身体をコンクリートに叩きつけられたとはいえ、当たりどころはあまり悪くなかったらしい。凛月に促されるままもう一度眠り、目が覚めたら打ち身による痛みはそこそこましになっていて安心した。過去から来た私がここで医者にかかれるとは思えないので、怪我は病気は自力で治すしかない。

。着替え持ってきたよ」

 真っ暗な部屋に廊下からの光が投げ入れられる。どれだけの時間が経ったのだろう。

「なに、ぼうっとして。肩痛い? 一応湿布も持ってきてあげたけど、貼っておいた方がよさそうだねえ」

 怪我の痛みよりは眠気が強いせいですぐに返答ができなかった。いつもは凛月がぼうっとして私の手を掴み、引っ張り上げられるのを待っていたというのに、今の私は凛月に横たえていた身体を起こしてもらい、ばんざいのポーズをとらされている。
 制服のブラウスの上に着ていたサマーニットをするりと脱がされた。外されていくボタンはすべて他人事のよう。やがてブラウスも剥がされるとあとは下着だけというひどく無防備な姿になってしまい、夏なのに凛月の指先は冷たいんだなあと思いながら、背中に凛月の指が伸びるのを黙って待っていた。ひとかけらの抵抗もない。

「……あのさあ、今の俺はがよく知ってる俺じゃないんだけど、このままぼーっとしてていいの?」

 凛月の指が背骨に沿って下から上へするすると移動していく。下着のホックにさしかかったところで、その指はぴしっと静止した。

「え……、そ、そうなの?」
「そうそう。俺だってただ二年過ごしてたわけじゃないんだよ。が知らないこと、なぁんでも知ってるし」
「私が知らないこと?」 

 相変わらず穏やかなペースを保つ凛月の指がついに下着をはずしたところで、頭をぼんやりとさせていた眠気が一気に凍りついた。血の気が引くというのはこういうことなのだろう。
 胸のあたりがひどく心もとなくてすうすうする。すぐさま布団で胸を隠したけれど、きっと見られてしまっただろう。
 さっき凛月が言った「今の俺はがよく知ってる俺じゃない」という言葉の意味が確かな力をつけて脳に刻まれる。眠気に任せていたとしてもぼうっとしているべきじゃなかったのだ。私はまだ凛月とお別れをしていないけれどこの凛月はすでに私とお別れをしているから、初めてじゃないからといって抵抗をせずにされるがままになっていたのはものすごくまずかった。

、迷子になったみたいな顔してる」

 私は凛月を凛月でしかないと思っているのに、凛月は最初に私を「高校生の」と呼んだように、完全に区別しているのだろう。そうしたら私は目の前にいるこのひととどう接したらいいのかわからない。触れ方も、触れられ方も、なんにもわからない、小学生のときに遡った気分に陥って、目の前が真っ暗になる。

「……ひゃ……!?」

 突然肩に冷たいものが貼り付けられて悲鳴のような声をあげてしまった。俯けていた顔を上げて凛月を見やれば「貼るって言ったじゃん」とにっこり笑っている。

「いきなり貼るなんてひどい……!」

 恨みがましい気持ちを込めた声を気にもとめていない様子の凛月がカーキ色のTシャツとハーフパンツを差し出してくる。過去から持ってきた私物は携帯電話しかないので、着替えをするとなると凛月に貸してもらう他ない。夏の汗をかきやすい時期に着た切り雀で他人のベッドを使わせてもらうのは気が引けるので素直に受け取った。
 凛月の服を着ることに対しても抵抗しようとは思わなかったけれど、今しがたされるがままになっていた末に脅されたばっかりだったので、そろりと凛月を窺い見る。

はいい子だねえ」

 満足そうに頷いた凛月はそれ以上触れてこようとはしかなった。
 前回の反省を踏まえて凛月に背中を向け、ほとんど脱げていた下着を外し、凛月のTシャツを身につける。こんなふうに凛月がきちんとしているひとだとは(失礼なことに)一度も思わなかったので、やりづらいことこの上ない。下に穿いていたものを苦労して布団の中で脱ぎ替えたころには、怪我の痛みもあいまって全身に疲労が降りかかっており、立てた膝に頭を預けて浅い呼吸を繰り返した。

「よぉしよし……もう一眠りしようねぇ」
「それはさすがに寝すぎ……。あ、そうだ。洗濯機使ってよかったら洗濯させてもらっていい?」
「え〜……? の怪我にかこつけて俺が珍しくお世話してあげようと思ってるんだから素直に寝ててよ。洗濯も俺がするから」

 これまでにないような甲斐甲斐しさを発揮している凛月は私が脱いだものを回収して部屋から出ていく。再度扉が開くのをしばらく待ってみたが足音が近づいてくる気配はない。
 凛月が用意してくれたペットボトルの炭酸水を半分ほど飲み干してから布団に潜り込む。下着をつけていないだけでぞもぞと落ち着かず、寝返りを打ったら湿布の下の怪我がずきりと痛んだので、じっと身を縮めて息を殺す。
 目を閉じると背中を這った指の感触がよみがえる。ああして触れる凛月の指が私のものじゃなくなる日がくるのだ。冗談みたいにひどい悪夢に蝕まれて眠気はちっともおりてきそうにない。