2.




 同じ小学校で同じクラスの真緒くんが「おばけの洋館」と噂されている凛月の家に出入りしているのを知ったのは、夏休み前で教室の全体が明るく浮かれているときのことだった。もともと真緒くんとは家が近く、さらに一学期のあいだは席がとなり同士だったので、授業の合間におしゃべりをしたり消しゴムを忘れたときに貸し借りをしていた。クラスにいる男の子のなかでは一番仲が良かったと思う。そして真緒くんの性質というものは今もむかしも変わらず、困っているひとをためらいなく助けるさまとスポーツが得意なところ、ノリがよくどんなひととでも楽しく過ごせるところが男の子からも女の子からも人気を得る要因となり、真緒くんのまわりにはいつもたくさんのひとがいた。
 そんな真緒くんが終業式のおかげで午後いっぱい時間ができる日に、男の子たちとサッカーで遊ぶのを断ってあの洋館に通っているのはどうしてなのだろう。


「真緒くん……。ここにはほんとうに人が住んでいるの?」

 そんなに気になるならついてきてもいいぞと気前よく誘ってくれた真緒くんの半歩うしろを歩いていたのだが、鬱蒼と木々が生い茂る館を前にすると自然と足は重たくなる。あたりまえだ。いくら真緒くんが大丈夫だとお墨を付けたとしても、昼間なのにギャアギャアと鳴く烏の声を聞いていたら心臓を直接触られたような言いようのない怖気に襲われてもおかしくない。

「さっきも言っただろ。ここにはりっちゃんがいて、ちょくちょく宿題を届けてやってるんだって」
「でも学年がひとつ上なんでしょ。なんで真緒くんが届けるの? りっちゃんって女の子で真緒くんの好きなひとなの?」
「違うって、男の子。りっちゃんちって誰も行きたがんないから、りっちゃんのクラスの先生に頼まれたんだよ」
「真緒くんってすぐなんでも引き受けるよね」
「まあ家が近いからな〜」
「家が近い子なんてぜったい他にも、い、……ね、真緒くん、ピンポンとか押さなくて、いいのっ?」

 重々しい鉄に閉ざされている正門を無視してぐるりと裏にまわり、風に吹かれてきいきいと鳴っている狭い門扉から洋館に侵入する。枯れて土がかわいた花壇にはなにも生えていない。茂みがときどきがさりと音を立て、そこに何者かが棲んでいる気配に背筋が凍る。思わず真緒くんのTシャツの裾をぎゅっと握る。ふつうのおうちの三倍くらいはありそうなお屋敷だ。社会の教科書でヨーロッパのお城の写真をみたけれど、あれをぎゅっと凝縮したような外観をしている。これで庭が荒れていなかったらはしゃぎまわっていたかもしれない。

「あいつめんどくさがりなんだよ。俺も最初は鳴らしてたんだけど、何回もそうしてたら門の鍵あけるのめんどくさいから勝手に入ってこいって言われて、今はそうしてる」

 いつからそうしてここに通っているかは知らないが、洋館の住人をりっちゃんというあだ名で呼ぶくらいには何度も通っているのだろう。
 お外で遊んでいるイメージが強い真緒くんがこんなに薄暗い場所で閉じこもっている。今年最大の驚きだ。

「ま〜くん。そいつ、誰?」

 噂のりっちゃんという人物は天蓋付きのベッドから動こうともせず、布団にくるまったまま私に不審な視線を投げつける。
 窓には黒い遮光カーテン。ベッドについているカーテンも黒色。彼が着ているパジャマも黒色。凛月におけるイメージカラーは黒で決まった。だって髪も濡れたようにつやつやな黒髮だったのだから。

。たまに話してるだろ〜? この辺に家があって、俺の隣の席の子だよ」
「知らない、忘れた。俺はま〜くんには勝手に入ってきてもいいって言ったけど、知らないやつを入れてもいいとは言ってないんだけど」
「おまえの夏休みの宿題を持ってきてもらうのを手伝ってくれたのに、その言い方はどうかと思うぞ」
「べつに頼んでないし」

 凛月は小学生らしくない真っ白な肌をしており、部屋にばっかり引きこもり、めったに登校してこなかった。それに加えて警戒心を隠さない厳しい表情で睨めつけてくるので、凛月とおしゃべりをするのはこれが最後だろうと心の中で深くため息をついたのだ。
 しかし私の幼い予感は綺麗にはずれてしまう。私はそのあとも何度も凛月の家に逃げ込むことになるとは、そのときは予想すらしなかったのだ。





 痛みで目が覚めた。寝苦しくてうまく息ができない。
 霞んだ視界がひかりを取り戻して最初にとらえたのは複雑な模様の天井だった。それなりに見慣れてたそれは、凛月の家のもの。

「目ぇ覚めた? 高校生の
「凛月」

 目だけを巡らせて見つけた声の主は悠々と椅子に腰かけて読書をしていた。開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込み、黒いカーテンを揺らしている。
 目を細める凛月の赤い目は、あまりにも穏やかすぎる。
 ゆったりと肩を落ち着けて座っていた凛月は私の背中に手を差し込んで上体を起こしてくれた。ずきりと肩が痛んで思わず顔をしかめる。

「覚えてる? はねえ、倒れたときに肩ぶつけたんだよ。打ち身になってるみたいだからあんまり動かないほうがいいんじゃない?」

 ちらりと目にしたベッドサイドに置かれている電子時計はカレンダー機能がついている。(いつだったか、寝坊ばかりする凛月の誕生日に真緒くんが贈ったものなのだが、凛月の寝坊はもちろんそれだけでは直らなかった。)デジタル時計が示す日付は「今」よりも二年後の七月。時刻は午後三時すぎ。黒いTシャツの凛月は「なんでが夢ノ咲の制服着てるのかなって思ったんだけど」と言いながら私の携帯電話を差し出す。

は二年前の?」

 ロック画面が示す日付は私が辿ってきた日付で、凛月のデジタル時計とちょうど二年分の差があった。どちらがずれているとかではない。どちらも正しく、間違いなく動いている。

「うん。たぶん、そうなの……」
「驚かないの?」
「凛月がすごく落ち着いているから、驚き方を忘れちゃった」
「そう? 俺はが目の前で倒れたときは心臓が止まるかと思ったのに、はのんきだねえ。まあ泣かれるよりはいいけど」

 凛月の手が伸びてくる。私が知っている「今」、そこから二年分成長したのだと意識すると、凛月の手のひらは記憶よりも大きく感じる。体温は相変わらず低そうで、ピアノを弾くために綺麗にととのえられている爪も二年前と変わらない。
 私に触れながらふと表情に陰を落とす凛月に漠然と疑問を抱く。怪我でもしているかのような苦しそうな表情で放っておけなかった。

「……今の凛月は、今の私と仲良くやっている?」

 ひとりでに滑り出てきた質問に、心臓が嫌な音を立てて軋んだ。凛月がより一層苦みを耐えているかのような顔で私の頰を触り、ついに視線を床に落としたからだ。

とはもうずいぶん前にお別れしたんだよ」

 二年前の日付を表示させている携帯をぎゅっと握りしめる。ぬるい夏風と共に蝉の声を聞く。手のひらにじわりと汗が滲んだ。