恋だとか愛だとか、そういうものをどう分類すればいいのかいまだにわからないし、一年後だってわかっていそうにない。真緒と凛月のふたりともを等しく大事に思っている。そこに邪念や贔屓はない。だけど、小学生のころの同級生がむかしから知っていたかのような口ぶりで「衣更くんって格好いいよね」と言うたびに、心がきゅっと狭まって、心臓がちくちくと痛む。そんなことはずっとずっと前から知っていたと声を大にして叫びたくなる。
感情の違いに気付いてしまったのは泣きたいくらいにとても寂しいことで、だったらいままで通り三人でいられたらよかったんだけど、凛月がここまで手を引っ張って連れてきてくれたんだから。足踏みをしていつまでも動き出さない私の背中を押し、真緒と向き合わせてくれた凛月がひどく優しい声をかけてくれたものだから、いまはその手をそっと離して、ひとり、小指を結んで誓った約束を毎晩繰り返し唱えている。
○
「……寝ているの」
灯りのともる家に帰ると、ソファでごろんと眠っている真緒がいた。眠り顔はあどけない。私よりも睡眠時間の短い真緒の寝顔を観察できるのはなかなかない体験であったので、物珍しさからまじまじと見つめてしまう。
「今日、誘ってくれてありがとう。真緒がかっこよくなっていてびっくりしました。歌も上手で、楽しくて……でも……」
吸う息が硬い。
「……すこし寂しかったから、泣いてしまいました」
「知ってるよ。そうだと思った」
目を開いた真緒はいつか見た照れ笑いで、ソファの脇に腰を下ろしたことでぐっと近くなった顔をもう一度見つめてみると、緑色の目の奥が寂しげに瞬いているのを見つけた。
「寝ていなかったの?」
「疲れて、目閉じてただけ」
「ずっと寝ているふりしててよ、恥ずかしい……」
「そうしようと思ったけど、俺はおまえが泣いているんじゃないかって気になったんだよ」
「泣いてないよ」
「は俺の前では泣かないもんな」
責められている気分になり下を向くも、寝転がっている真緒しか見えなかったので、この場から立ち去ろうと腰を浮かすも腕を掴まれてしまって逃げようがない。ステージの上から手を振ってくれた人の、おおきな手。がっしりと私の腕を掴んで離さない、男の子の手だ。
「」
「……やだ」
「。こっち向け」
「やだ」
はあ、と大きく吐かれるため息にもびくついているのにおくびにも出さないようにじっと横を見つめ続ける。腕を掴む手から力が抜かれる。
「……泣きそうだから、手を離して」
子どもの頃と一緒じゃない。真緒と一緒にいる時間が減ってしまい、とてつもなく寂しく思っている。それならせめて、一緒にいるときはちゃんと笑っていたいのに、どうして手を離してくれないの。
「俺は、が泣いてくれなくなったことが、寂しい。昨日だってあんなに目赤くしてたくせになんでもないふりするから、俺はずっと心配で……今日だって来てくれるか心配でなにも喉を通らなかったんだよ、そういうの知らないだろ……」
「真緒がそういうことを言わなくなったからだもん」
腕を強く振って真緒の手から逃れ、すくっと立ち上がる。さすがに上半身を起こした真緒はもう笑っていなかった。どこまでも凪いだ、真摯な顔つきで見上げてくる。波が立てられそうだった胸がすっと落ち着いていく。それなのに心がこんなにも痛い。
「言ってくれなきゃ、わかんないよ……。真緒がなにを考えているか全然わかんないの。真緒のことで、私に関係のないことが増えてしまったから。疲れているのに平気なふりするから、私だってずっと心配なんだよ。なのに心配もさせてくれないの、ひどいよ」
頭のどこかで生きている冷静な部分が「それは違う」と叫ぶ。これではまるで真緒を詰っているみたいで、苦い唾が喉を通るのが不快だ。
「……俺は」
濡れたような目がゆらめいている。
「俺はおまえに心配してもらいたくない」
頭をがつんと殴られたかのように意識がぶれて、口を開こうとも唇が震えて言葉を紡げなかった。貧血にも似た視界のぐらつき。力が尽きてしまう前に逃げてしまおう、どこに? ここは私の家だ。部屋のベッドに潜り込む?
「さ、さようなら!」
空気を揺らした声に涙が混じっているのを聞いて初めて自分が泣いていることに気が付いた。鼻で息を吸うと鼻水を啜る音が出て涙腺が熱くなった。ずっと我慢をしてきたのに、真緒の前で泣いているんだ。私のこの姿を見たら凛月は呆れるだろうか。
ただ、目の端に滲んだ涙を乱暴に拭ったらそれで終わるような量だったので、これから先は私が堪えられたら泣いていることを誤摩化せると混乱した頭で答えを弾き出したのだけれど、真緒はそれを許さない。泣いてしまったからか、やたらと慌てふためいて私の名を呼ぶ。
「違う、」
「なに、が」
「には変なとこ見せたくない、って言ったら、ちゃんとこっちを向いてくれるか?」
向くもなにも、腕を引っ張られてソファに座らされてしまう。真緒が眠っていたときに分けた体温であたたかく、波立っていた胸がとんとんと落ち着く。
正面に座り込んだ真緒の顔には苦笑いさえ浮かんでいる。
「ライブ、褒めてくれてありがとな。俺もめちゃくちゃ頑張ったんだぞ? のために」
「まおは……アイドルなんだから、ひとりのためにみたいな言い方しちゃだめだよ……」
「うん。だから、今日がとくべつ」
膝の上でかたく結んでいた手をそっとほぐされる。絡めとられた指はソファに残っていた体温よりも熱い。くしゃりと笑う真緒がなんだか泣きそうに見えてしまうのは、私が泣きたいからかもしれない。
「が、特別。だからがどんだけ大きくなったとか、料理がうまくなったとか、どんなふうに泣くかとか、そういうの全部教えてくんないと、俺が困る」
「な……泣く……?」
はくはくと漏れ出る息を繰り返すごとに体温が上がっていき、血が身体のすみずみまで活発にめぐり、とうとう頬が赤くなったのが見なくてもわかった。
「真緒ばっかりずるい。私だって真緒の泣き顔見たい」
「あのなあ……、変なとこ見せたくないって言ったよな?」
「変じゃないよ」
「変なんだよ」
「私が見たいのに……。だって、私、真緒のライブを見たらずっと言おうって思ってたの。ずっと、言いたかったことが、あるの」
最後に一度だけ鼻をすすった。ソファを介して分けてくれた熱と、握った手から間断なく注ぎ込んでくれる熱。凛月のやさしい声。そのすべてが背中を押してくれている。
「あのね、私……」
震えない、貧血にならない、顔を逸らさない、手を振りほどかない。簡単なようで難しい動作を一つ一つ確認した先で、やっと唇を開く。
「真緒のことが、大好き」
ぴくりと動いた手を、絡まった指ごと掻き抱くようにして力を入れて握りしめ、肌を擦り合わせるようにぎゅうぎゅうと押し付ける。
泣いているみたいに潤った真緒の緑色のきれいな目が朝の宝石みたいにきらめいている。