夕暮れ時、いまは秋。空気が渇き、つめたそうな雲が高い空にべったりと貼り付いている。晴れの日はさみしい。寒くなっていくたびに、もっとさみしくなる。
 手のひらが求める体温に素直に寄り添えるほど幼くもなれず、だんだんと広がっていく目に見えない距離がどうしようもなくさみしい。
 ちょうど、一昨年の冬を思い出しているせいだろう。たくさん枝分かれした無数の冬のうち、切ないものを選びとったから、私は私の性別を幾度となく呪った。


 いつもとは逆方向へ足を向け、幼馴染たちが通う学校へと歩いていく。憂鬱な気持ちも、手の付けようもない寂寥も、とりとめのない焦燥も、すべてを引き連れていく。夢ノ咲学院への道のりはとっくの昔に憶えてしまっていた。

「ライブ、今日じゃないよ」

 乾燥した空気にすこんと伸びる凛月の声を聴くと、記憶よりも強く鮮やかに鼻の奥が痛み、気が付いたときにはあたたかい涙が頬を伝っていた。
 暴力的なまでにまぶしい夕暮れの中にそびえ立つ校舎が涙に滲んで輪郭をなくしていく。

「しっ、て、る……」

 つっかえそうに細切れた私の声を聞いた凛月は頷いて、うん、と呟いた。

「俺も、知ってた。が何度もここに来たことがあるってこと、知ってたよ。いっつもそうやってべそかきながら、じっと立ってたんでしょ。今日も知らないふりしようと思ったんだけど、が甲斐甲斐しくま〜くんの夕食を作っているのを知ってしまったから、もう、たまんなくなっちゃった」

 白い袖にぱたぱたと沈み込んでいく涙がいくつもの染みをつくる。凛月はそれを嫌がりもせずに受け止めて、私の頭をゆるゆると撫でる。

「ちゃあんと守ってあげないとね。はだいじなだいじな幼馴染なんだから」

 目に押し付けられた袖がもうぐっしょりと濡れてしまっている。迷子になりそうだった両手で凛月の腕をもう離さないようにときゅっと握りしめて、いつの間にか速くなっていた息を必死に調える。

「さ、さみしいの」
「うん」

 あまり日にあたらない涼しげな顔がゆるやかに微笑んでいる。

「ずっと、寂しかったの。まおが……、真緒がね、もしかしたらもう自分でボタンをつけられるのかもって思って。そっ、そしたら、きっと料理も自分でできるから、私の、意味がないんじゃないかって、思ったら、寂しくて、変わってしまった真緒を見たくなくて、ライブなんて、行けなくて」
「……でも、行ってみようって思ったんでしょ。なんで?」

 凛月の優しい声が余計に涙腺を刺激して息をするのも難しくなってきた。走ったあとみたいに上がる息が苦しい。濡れそぼった頬を拭う凛月の制服を派手に汚して申し訳ないのに、何年分かの涙は決して簡単には止められず、壊れたみたいに流れ続ける。

「真緒はずっと優しくて、昔みたいにまだ優しくしてくれたから……。どんなに忙しくても、ごはん、食べにきてくれたから、だから、今度こそちゃんと今の真緒を見たいって、そうしないと、わた、私」

 そうしないと真緒に想いを告げられないと思ったから。今の真緒をちゃんと見てからじゃないと、真緒に好きだと告げられないと思ったの。
 だけど、だんだん遠くなっていく真緒を見るのは怖くて、それはとても怖いことで。遠くない未来、直接顔を合わせるよりも、テレビや雑誌で姿を見かけることが多くなるのかもしれない。たまたま家が近かった幼馴染のことなんて簡単に忘れてしまうのかもしれない。前髪をおろすのを嫌がっていたことを忘れてしまったみたいに、私のことも忘れてしまうのかもしれないと思ったら、かなしくて、恐ろしくて、そして、それから、寂しくてたまらない。

「そんなに泣くと頭痛くなるよ」
「だっ、だって、止まんない。どうしよう」
「俺に世話させるの、くらいしかいないよ」
「う……ご、ごめんね」
「あー……でも、が昔みたいに泣き虫でいてくれて嬉しいかも」
「ひどい、りっちゃんの馬鹿、寝てばっかりのくせにっ」
「重たくなっても、生意気になっても、はずっとだし、ま〜くんもずっとま〜くんだよ」

 だから大丈夫だよ、と優しく笑って次から次へと溢れてくる涙を拭ってくれるこの手だって、真緒のように大きく成長してしまった。

「りっちゃんは寂しくないの?」

 鼻がつんと痛む。

「寂しいよ。でも寂しがってるだけじゃ、だめなんだよ。ま〜くんは鈍いからね、気付いてくれないよ」
「そんなの……」

 ぶわりと涙が生まれ、目の表面を覆うのもつかの間、すぐに剥がれ落ちていく。
 声をかけられなかった遠い背中。雑誌で見かけた真緒の笑顔。三人でうつった古いアルバムとか、あの夕方の、遠き山に日はおちて。

「どうすれば、いいか、わかんない」
「昔はよく家出してたじゃん。学校さぼったり、わかりやすいのはま〜くんに泣きついてみたり。寂しいって言えなくなったのはのほうだよ。変に強がって、本当に子どもだねえ……。いま俺にしてるみたいに、ま〜くんの前で泣いてあげなよ。単純なことだよ」

 真緒の前で遠慮なく泣けるほど無垢な子どもになれそうにもない私は、とうとう喋ることすらままならなくなり、痙攣を起こしかけている喉を落ち着かせるために何度も深呼吸を繰り返した。絶え間なく背中を撫でてくれる凛月はずっと笑っているのに表情のほんの一部分に哀惜を秘めている。寂しいと言い切った凛月が私はずっと私だと言ってくれたから、そうしたら、凛月だってずっと凛月なのだろう。