夢ノ咲学院に入ってからの真緒のことを、私はどれだけも知らない。アイドルとしてステージの上に立ち、どんな人たちの視線を浴びているのか、それをこなしているときの真緒がどんな気持ちでいるのか、なにもかも、私は知らない。


「ね〜、まだできないの?」

 リビングのソファに寝転がり、だらしなさの極みといった体勢で料理の進捗を確認する凛月の声はカウンターキッチンからはよく見えない。手伝ってもくれないくせして、このやろう。シチューが焦げ付かないようにと時々かき回して、真緒の写真をくれると嘯いた凛月の催促に適当な相づちを打つ。まだ夕方だし、眠たそうにしているから眠っていればいいのに。テレビも「うるさい」と言って電源を落としてしまったので本格的に暇なのだろう。

「宿題とかしてたら?」
「うわあ、なにそれ。俺の世話を焼こうとか思ってるの……? のくせに。保育園のころは俺がいないと靴も履けなかったくせに」
「そんなこともあったかなあ」
「小学生のころなんか、スイミングスクールの帰り道が暗くて怖いから送り迎えしてとか言ってさあ、ほんと手がかかる子どもだよは……」

 色あせつつある過去の思い出に耽って、静かに笑っている凛月が知っている幼い私というのは、なにをさせても手のかかる子どもだったらしい。
 そんなことはない! 少しはしっかりしてたし、スイミングスクールくらいひとりで行き帰りできていた! と言い返したいのは山々なのだけれど、私が持っている記憶の断片では確かに凛月と手を繋いでスイミングスクールからの家路を歩んでいたのだ。塩素が溶けたプールの水で湿った髪を夜風に揺らして、夜目の効く凛月の手を頼りながら、言葉少なに歩いていた。たまに、真緒も迎えにきてくれたりして。

 幼いころ、母親の仕事の帰りが遅いため、託児所がわりにいろいろな習い事をしていたのを憶えている。でもそれよりも、ふたりと歩いた道のりのことの方が、強い記憶として残っていた。

「でもそんな私がこんなに大きくなりました。ほら」

 コンロの火を止め、ソファの前で偉そうに仁王立ちしてみせる。身長が伸びたことの証明である。登下校はひとりで大丈夫で、夜の九時を過ぎてからコンビニに出かけてアイスを買ってくるミッションもお手の物。

「まあそうだねえ……あのころと較べたら、見た目は育ってるかなあ」
「どういう意味なのそれは」
はまだまだ独り立ちできない子どもだってこと」
「そこまで言う?」

 スーパーで買い物をしている段階から、子どもだ子どもだと連呼され続けて若干心が折れつつある。子どもって、どこまでが子ども?

「ああ、できないことをできないって言えていた昔の方が今よりマシかな。うん」

 それってだんだん悪化しているってこと?
 凛月の忌憚ない評価にしょんぼりしながら、ソファの前に腰を下ろす。背中をぐっと仰け反らせたら、凛月のお腹に後頭部が乗っかり、そのまますっと力を抜いてそれを預けた。珍しく文句を言われなかったのでしばらくぼんやりとして、キッチンから空気に乗って届くシチューの柔らかい香りに身を委ねる。

 できないことをできないと言うこと。厄介事に巻き込んだり、困らせたりするのはわかっているけれど、それでも近くにいて、呆れた顔で「しょうがないな」と受け止めてほしいと思うこと。