二年前の夏は近年稀に見る猛暑で、抱えた膝は汗で湿っていた。制服のスカートのひだは無作法な座り方のせいで皺になってるだろう。窓が太陽の光で張りつめている。遠く遠く、決して手の届かない空に浮かんでいるのは明るすぎる白い雲。目と頭がくらくらする。力任せに遮光カーテンを引っ張っても熱さがわだかまった室内はあまりにも暑くて、私はまた床に座り込んで膝を抱える。夏なんてきらい。

 昨日は帰れなくてごめんなさいね。
 母親から連絡が入ったのは午前六時半を一分ほどすぎたときだった。なにせ私は早起きが苦手であったので、たとえ厳重にアラームをかけたところで寝起きの善し悪しは変わらない。電子音よりも肉声の方が、眠気覚ましにはずっと効果があるのだとよく知っている。
 中学生の私はいわゆる、大きくなって手のかからなくなった子どもに分類されるらしく、この頃の母親は仕事にたいへん没頭しており、家に帰らない日も珍しくはなかった。夜と朝には必ず電話が入る。でも、どう頑張ったって一人は一人なのだ。

 早起きをしたのに、生まれて初めて学校をさぼった。おそらく学校からだと思われる電話は電話線ごと引っこ抜いて無視をした。平日の昼間に訪れる人間なんてどうせセールスかなにか、出たら面倒になるたぐいのものだろうと見当をつけて居留守を決め込んだ。

!」

 布団の押し売りだと思って無視をしたのに、インターフォンを鳴らしたのはスーツを着たセールスマンではなく、おなじ中学の制服を着た真緒なのだから、それはもう、口をあんぐりと開けて驚いた。ぜえぜえと肩で息をしている真緒がずかずかと力強くこちらにやってきて開口一番、暑い! とわめく。

「そりゃあ夏だから……」
「じゃなくて、なんで窓も開けず冷房もつけずこんなとこにいるんだよ……。暑いだろ」
「いや別に」
「顔に汗浮かんでんじゃん」
「うそ!」
「嘘。汗じゃなくて、それ、泣いてたんだろ」

 泣いてもいないのだけれども、と口の中で呟いて目元をこするとわずかな水気が手の甲にくっついてうめき声が漏れる。私は泣いていたのだろうか、でも朝からの時間があまりにも曖昧で、感情の操縦もろくにできなかったのだからなんとも言えない。
 真緒が心配げに眉を下げてこちらを伺っている。そっちの方が、汗だくでつらそうなのに。

「ま、おは。なんでここにいるの。ていうかどうして家の中にいるの?」

 長くて硬い指が目の下をするりとなぞる感覚に背筋がびりびりした。太陽を吸って火照った真緒の指は夏みたいな温度を持っている。

「おまえな……。鍵開いてたぞ。あれいつからだよ」
「え、嘘。いつからだろ」
「……いくらなんでも不用心すぎるだろ。なんかあったらどうするんだ。おまえはそういうところが抜けてるからなあ……」

 食べなければ飢えてしまうし、コンビニやスーパーのお弁当の味に飽きるのは早かった。そして、学校から帰ってからの時間は長かった。自然と料理の腕が上がっていったのだけど、その他の掃除や洗濯、制服のタイを器用に結んだり、忘れ物をしないように気を付けたり、パンジーを枯らさないようにすることだとか、基本的に生活力は皆無なのだった。
 戸締まりの甘さも追加される。真緒の眉間の皺はますます深くなり、私は抱えた膝に額を押し付けて呆れ顔から逃げた。

の担任、がいないって泣いてたぞ」

 中学に入ってからはじめての担任は私の家庭環境をよく知る若い女教師で、なにかと心配性なのだった。大人に心配されると子どもになった気になる。ほんとうは子どもなのに、母親はときたま私を成長しつくした大人扱いするので、自分が何者なのか見失ってしまう。

「それで探してくれたの?」
「そうだよ……。風邪でも引いたのかと思った」
「風邪じゃないよ」
「そうみたいで安心した。単なるさぼりか」
「うん」
「カレーの匂いがする」
「お昼に食べようと思って」
「うまそうだなあ」
「美味しいよ」
「食ってってもいい?」
「いいけど、学校戻らないの?」
「食べたら戻る。どうせもうすぐ昼だし」

 重たくて分厚いカーテンを目一杯開いて、窓すらも躊躇わずに全開にする。網戸の細かい穴から新鮮な風が流れ入り、澱んだ熱気をくるくると包んで去っていった。
 もうそんな時間になったんだ、と深呼吸をしながら言うと、頬を触られた。額と、首にも。そっとした慎重な手つきだった。

も食べるだろ。用意は俺がやるから、そこ座ってな」

 手を離し、目を細めて笑う。初夏の日差しを受けた柔らかな風貌が好きだなあと思う。目眩はもうなくなっていた。

「うん。ねえ真緒。私もカレー食べたら学校に行く」

 しゃもじを手にした真緒の背中に向けて言うと、振り返って「無理しなくていいんだぞ」と甘やかすので、首を強く横に振った。そうじゃないよ。真緒と一緒に、学校まで歩きたいと思ったんだよ。

「帰り、一緒に帰るか」
「うん」

 幼馴染のことが好きなんだと自覚をしたのはいつだったのだろうか、はっきりとした瞬間は覚えていないのだけれど。隣を歩くのが嬉しくて、幼馴染の延長で肌に触れられるのが幸せで、もっとたくさん一緒にいてほしいと望むことが多くなった。

 乱れたスカートのプリーツを撫で付けて綺麗にした。ソックスをきゅっと伸ばして、前髪を手櫛でどうにかしていると、キッチンの方から私の名前を呼ぶ声がする。綺麗に伸びる大好きな声。
 だからこれは、いとおしい記憶。